差別と戦う者が恐れるべきなのは間違いや失敗ではなく何も変わらないこと
こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。
まず最初に。
先日の「"クソオス"という人はフェミニストではないと私は思う」という考え方は間違っていました。
みなさんの様々なご意見を見ていくうちにそう考えるようになりました。
排除したり分断するような発言はするべきではありませんでした。
しかし、フェミニストの敵は男性ではない。そして性差別は決して「女性vs男性」ではないという考えは変わりません。
記事については、冒頭に訂正文をおくという形にしています。
その上で、ここ数日のみなさんの反応を見ていて考えたことを書いておきます。
失敗できない、間違えられないという恐怖
ここ数日のフェミニスト界隈のみなさんの反応をみていて感じたのは失敗や間違い、知識不足を認めない雰囲気があるのではないかということです。
今のこの状況の中でフェミニストであり続けることはなかなか難しいことだと感じました。
私の主張には間違っている部分がありました。しかし、いただいた反応の中には批判や反論とはちがう、攻撃もありました。
今回に関しては、私が先に否定するようなことを言ってしまったので仕方ないと思っています。
ただ、もっと多くの人たちが気軽に性差別の問題に関われるようにするためには、失敗や間違い、知識不足を許容できる状態が必要だと感じました。
フェミニスト=男嫌い?
往々にしてフェミニストは男嫌いだと思われているように感じます。
フェミニストは男嫌いで、男性を排除しようとしていると。
そのような考えを持っている人たちの存在は否定しません。
しかし、フェミニストにはそうではない人たちもいるんだということはぜひ知ってもらいたいと私は思います。
今までフェミニストはなんだかこわいと思っていた男性たちに。そして、性差別の問題に関わりたいけど尻込みしているフェミニストたちに。
あとがき
フェミニストとはなんなのかということを発言・議論することはあまり意味のないことのように思えるかもしれません。
しかし、それによって性差別と戦おうとする人が増えるのであればそれはとても有意義なことです。
知識があまりなくても性差別をなくしたいという気持ちがあるのであればその人はすでにフェミニストです。男嫌いでなくても、またあまり熱量が高くなくてもフェミニストです。
性差別の問題というのはとても複雑です。間違ったことを言ってしまったり、失敗してしまうこともたくさんあるでしょう。
それはとても、こわいことですよね。
しかし、間違いや失敗より恐れるべきなのは、何も変わらないことです。
失敗を恐れて口をつぐんでいては何も変わりません。
間違えたとしても、それによって議論が巻き起こったのであればそれは間違いなく誇るべき一歩のはずです。
ぜひ、声をあげてみてください。
まずは、情報を拡散するとか、リツイートするとか、いいねをおすとかだけでも充分です。賛同の声は大きな力になります。
自分自身や身の回りのことについても考えてみてください。自分ばかりが家事や育児を押し付けられていないだろうか。自分ばかりが経済的負担を背負ってはいないだろうか。自分の職場はどうだろうか。女だから、男だからで縛り付けられていないだろうか。
テレビやメディアはどうだろうか。日本の伝統とされていることはどうだろうか。おじいちゃんおばあちゃんの言っていることはどうだろうか。教育はどうだろうか。医療はどうだろうか。政治はどうだろうか。法律はどうだろうか。
性差別はわたしたちの身の回りになかなか落ちない錆のようにこびりついています。いやというほどに。
ぜひ、声をあげてみてください。