POLAの名CMから考える。幻の女性とママ・お母さんという生き物がこの国には住んでいる!
こんにちは、もにか(@monimonica_san)です。
少し前のものになりますが、 POLAさんのCMが「よいなー」と思いました。
問題提起としていいなと思います。2つ、ご紹介していきますね。
この国のあちこちに住む「幻の女性」
こちらのCMなんですが、ご存知でしょうか?
この国には、幻の女性が住んでいる。
世間が、そして私自身が作った幻想、誰かの「そうあるべき」が重なって
いつのまにか私が、私の鎖になりそうになるけれど
縛るな。縛られるな。
翼はなくとも私は飛び立てる。
これからだ、私。
素敵な笑顔で接客をする受付係の女性。
赤ちゃんを抱っこしている女性。
せっせと男性にお酌をしてまわる女性。
就活スーツに身を包み、きれいな服が飾られたショーウィンドウを見つめる女性。
お酌をしてまわる女性の描写なんか一番わかりやすいですよね。
お酌やお茶汲みは女性がするもの。
そんな風な"幻想"がまだまだ、あちこちで見られます。
名前で呼ぶとオキシトシンが増えるんだってさ
そして、こんな実験的な動画も。
まぁ、動画の最初の方の「ネクタイあったー?」とかってセリフにはあんぐり..って感じなんですが笑
まぁ、それも併せての問題提起だということにしておきましょう!
(ちなみに、動画最後の『すべての女性には、美しさという本能がある』というキャッチコピーも、私的には「ん〜?」って感じです)
普段、夫から自分の名前で呼ばれていない妻を、名前で呼ぶという実験をしたところ、"愛情ホルモン""幸せホルモン"などと呼ばれているオキシトシンの量が増えたよ。ということらしいのです。
私がこの動画をみて思ったのは、「名前で呼ぶことで相手を(対等な)人間として認識することができるようになった」という部分もあるのではないか。ということです。
先に断っておきますが、もちろん、妻のことを「ママ」とか呼ぶのはよくない!と言っているのではありません。
ママ・お母さんという超人的な生き物
「ママ」とか「お母さん」って、「ママ」「お母さん」という名前の生き物のようになってしまっているなーと思うんです。
ママ・お母さんという生き物はみんなひとくくりにされて、「こう思うはずだ!」「こういうものだ!」という、みんなのキラキラした確固たる"幻想"がある。
そして、それを押し付けられてしまう。
ママ・お母さんという名前のつく生き物は、料理ができて当たり前、家事はすべてきちんとこなした上で、家族を含め、他の人に迷惑をかけないように働くのが当たり前。
そんな幻想がママ・お母さんという生き物を作り出し、「みんなそれぞれ違う人間なんだ」という、ごくごく当たり前のことが見えづらくなってしまっているんじゃないでしょうか。
だから名前で呼ぶことで、呼んだ方も、呼ばれた方も「あ、ママ・お母さんという生き物じゃなかったんだ」ということを思い出せたんじゃないかなと。
ママ・お母さんという生き物の着ぐるみを脱ぐことができたんじゃないかなと。
さいごに
幻の女性もママ・お母さんという生き物についても
「あなたの当たり前を押し付けないで」っていうのが重要なポイントだと思うんですよ。
「女性というものは〜」
「ママなんだったら〜」
って勝手に押し付けんなよ!っていうね。
そもそも、くくる属性が大きすぎるだろ!っていうね。
あ。
ママ、ママ言ってて思い出しましたけど、この映画最高ですよ!
「ママという役割」に疲れている人におすすめです!
Netflixとかで見られるはずなのでぜひー!
それでは、またねー!