ふぇみえら

feminism era(フェミニズムの時代)略してふぇみえら!フェミニズムブログだよ!

キルギスの誘拐結婚と日本の女性の現状。それはそう遠くはないのかもしれない。

f:id:monica_san:20171010111431p:plain

こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

先日、福岡にある男女共同参画センターアミカスさんで行われた『国際ガールズ・デーイベント 「フォトジャーナリスト林典子が見た世界の女性たち~1枚の写真に込める思い~」 講演会&ミニ写真展』というイベントに行ってきました。

林典子さんはフォトグラファー世界中の様々な国で、その現状やそこで生き抜く人たちの「ニュースにならない人々の物語」を取材している方です。

今回の公演では、10月11日の国際ガールズデーにちなんで今までに林さんが取材した中から女性に関するものについて林さんが撮影した写真とともに、その文化や問題、現状など、その女性のストーリーをお話いただくという形でした。

パキスタンの硫酸で顏を焼かれた女性の話、「イスラム国」(IS)の攻撃を受け兵士になった女性の話などを、ときには胸がきゅっと苦しくなるような、そしてときにはある種、親近感が湧くような写真とともに聞かせてくださいました。

 

その中にキルギスの「誘拐結婚(アラカチュー)」というものについてのお話がありました。

キルギスの「誘拐結婚(アラカチュー)」

キルギスには、男性が女性を連れ去ってほぼ強制的に結婚をさせてしまう誘拐結婚(アラカチュー)というものがあるそうです。

中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の小さな国キルギス。約540万人が暮らすキルギスで人口の7割を占めるキルギス人。地元の人権団体はキルギス人の既婚女性の約3割が誘拐され結婚していると推定している。キルギス語で「Ala Kachuu-アラカチュー」(奪い去る)と言われ、 面識のない男性や数回会った程度の男性に連れ去られるケースがほとんどである。1994年に制定された法律により、女性の合意ないアラカチューは禁止されているが、警察や裁判官は単なる家族間の問題とし、犯罪として扱うこともほとんどない。

(引用元:キルギスの誘拐結婚 Ala Kachuu | portfolio | 林典子|Noriko Hayashi)

 

誘拐されると、女性たちは男性の家に連れていかれ、男性の親族の女性たちに結婚を受け入れるよう説得され、花嫁の象徴である白いスカーフを頭に被せられるのを必死に抵抗する。キルギスでは高齢の女性たちに逆らうのはきわめて失礼とされ、さらに一度男性の家に入ると、純潔ではないと見なされ、実家の家族に恥をさらしてしまうという理由で、誘拐された女性の約8割は何時間、何日間もの抵抗の後に結婚を受け入れるという。

(引用元:キルギスの誘拐結婚 Ala Kachuu | portfolio | 林典子|Noriko Hayashi)


林さんは、すでに違法となっている誘拐結婚がいまだになくならない背景にはキルギスの国民の多くが合意のない誘拐結婚をキルギスの伝統だと信じている背景があると言います。

誘拐結婚は社会問題か文化か

誘拐結婚をさせられて夫から暴力を受けている女性もいる、耐えきれず自殺をしてしまった女性もいる。
しかしその一方で誘拐結婚をして最初は嫌だったけど今はとても幸せだという人もいる。

また高齢の女性では「昔は今みたいな暴力的なアラカチューはなかった。自分はアラカチューがしたくてした。だからあまり悪いように伝えないでほしい。」という人もいたと言います。

しかし、専門家たちは「合意ないアラカチューはキルギスの伝統ではない」と主張する。キルギスがソビエト連邦の共和国になる以前は、両親が決めた相手とのお見合い結婚が主流だった。アラカチューという言葉は存在したが、本来は「駆け落ち」婚を意味していた。20世紀に入り、キルギスが旧ソビエト連邦の共和国になると経済活動や社会システムが急変し、男女平等のイデオロギーがキルギス人たちの間に芽生えた。それまで両親が決めていた結婚相手ではなく、自分たちで相手を選びたいという自由な意志が生まれ、その結果としてかつて行われていた駆け落ちのアラカチューが、ねじ曲がって伝えられ現在の暴力的な誘拐行為までもが「伝統」のアラカチューだと思い込むキルギス人が増えたのではないかという。

 

そんな様々な女性の話を聞いていくうちに林さんはこの誘拐結婚を社会問題として伝えるか、それともキルギスの文化として伝えるかとても悩んだと話しておられました。

「女性だから」何かを諦める日本の女性

誘拐結婚の話を聞いて「そんなひどいことをする国があるんだなぁ。」と思う人は少なくないはずです。

でもこの話を聞く中で私は、どこか日本と重なる部分があるように感じました。

日本には誘拐結婚のようなあからさまなものはないかもしれません。
でも、夫の転勤のために仕事を辞めざるを得ない女性。妊娠を理由に会社からほぼクビのような形で辞めさせられる女性。子供ができても夫は今まで通りの生活、実質ひとりで子供を育て上げたような女性。親に「娘には近くにいてほしい」と言われ、地元から離れられない女性。

「女性だから」という理由で半ば強制的に何かを諦めなければいけなかったり、何かの役割を押し付けられてしまうということはこの日本にもまだまだたくさんあります。

私は林さんのキルギスの誘拐結婚の話を聞いていて、これは日本の現状とそう遠くはない話だと感じました。

結果的に幸せならいい?

キルギスの誘拐結婚と同じように、この当事者の女性たちの中には結果的に幸せに、普通に暮らしている人も少なくないのかもしれません。

でも、本当にそれでいいのでしょうか?
「そのまま仕事を続けていられれば。」「夫は自分のキャリアを築いている、自分の趣味の時間もある、それなのに自分は。。」そういう彼女たちの思いはどうなるのでしょうか。
「まぁ結果的に幸せなんだからそれでいいじゃん」で済ませていいものなのでしょうか。

本人がやりたくてやってるならいい?

また、林さんがキルギスで会った誘拐結婚をした女性の中には「自分はアラカチューをしたくてした。あまり悪く言わないでほしい。」という人もいたと言います。
日本の場合も、「自分はやりたくて専業主婦をやっている。それなのに専業主婦を悪く言わないでほしい。」とか「(たぶん)本人がやりたくてやってるんだから、いいじゃないか。」という声を見かけます。

決して専業主婦が悪だとは思っていません。本人がやりたいと思ってやっているならもちろん自由にしたらいいことです。

でも中には「家事育児は女性がやるもの」という固定概念に知らず知らずのうちに縛られてやっている人、やりたくないけどやらざるを得ない人がいるはずです。

「本人がやりたくてやってるならいいじゃん。」その言葉は、それらを見えないようにしてしまわないでしょうか。

 

あとがき

キルギスの誘拐結婚と日本の女性の現状。一見、全く違う国の全く違う文化のように思えるかもしれません。

でも、その問題の本質を考えてみると実はその現状はそう遠くはないのかもしれません。

 林さんの本はコチラ↓