ふぇみえら

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改めて考える #metoo の意味とはなんなんだろう。

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こんにちは、フェミニストのもにかです。

今回は改めて、#metooの意味ってなんなんだろう。ということを考えてみたいと思います。 

改めて考える#metooってなんで必要なの?

#metooをやる意味ってなんなんでしょうか。
私はこれは一言で言えば「共通認識を作っていくため」だと考えています。

  • 日本にも性暴力はたくさんあるということ、どんな種類の性暴力があるのかをみんなが認識する
  • これはいけないことなんだ、やっちゃダメなことなんだ、傷つく人がいるのだという共通認識をつくる=加害を防ぐ

  • これは怒ってもいいことなんだ、断ってもいいことなんだ、声をあげていいことなのだ、性暴力なのだという共通認識をつくる=被害に遭うことを防ぐ


こういう共通認識を作っていくことで、無自覚なものも含め加害を防ぐこと、被害に遭うことを防ぐこと、そして性暴力やセカンドレイプを許さない社会の雰囲気をつくっていくことが重要なのではないでしょうか。

 

日本にも性暴力がたくさんあるという認識をもつ

まず、日本にも性暴力はたくさんあること、どんな種類・ケースがあるのかを知ることがとても重要だと思います。

現状を知らず「日本には性暴力なんてほとんどない」と思ってしまっていると、被害を告白した人を見たときにそれが信じがたいことだと思ってしまいがちなのではないでしょうか。「本当に日本でそんなことあるのか?」という感じで。

また、同様の理由でどのようなケースの性暴力があるのかを知ることもとても重要だと思います。私が最近立ち上げた#metooの声を匿名でもあげられるユーザー投稿型サイト『#metoo』に集まった声を読んでいると、父や兄からの性暴力を受けたという人が少なくないことに私はとてもびっくりしました。
それが実際に起こっていることであり、あり得ることなんだと知っておくことで被害に遭った人への耳の傾け方も変わってくるでしょうし、どんな対策・支援が必要なのかが見えてくるのではないでしょうか。

 

これはいけないことなのだという共通認識をつくる

みんなが声をあげていき「これは本当はいやだったんだ」ということを示していくことで、「これはやってはいけないことなんだ」という共通認識をつくることも大事だと思います。

例えば、昔は学校の先生が生徒を殴ったりするいわゆる体罰は当たり前のことだという"共通認識"でしたよね。でも、今は違いますよね。体罰はしてはいけないことだという共通認識になっています。
「本当はいやだった」「それはやっぱりおかしいんじゃないか」という声が長年かけてあがってきたことで、「体罰はいけないことなんだ」という"共通認識"ができていったのだろうと思います。

つまり、加害をさせない・しないために何がだめなのかという共通認識をつくるということです。

 

性暴力であるという共通認識をつくる

自分の身に何か起こりそうになったとき、または起こったときにそれが性暴力なのかどうか分からないことがあります。性暴力って言っていいことなんだろうか?自意識過剰なんじゃないだろうかと。
だから「こういうことは性暴力だし、断っていいんだよ。我慢しなくていいんだよ」という共通認識をつくることが必要で、そしてそれは性暴力の被害の防止につながるはずです。

また、性暴力の被害に遭った人の多くは「騙された自分が悪いんだ」「あのときあんな場所にいた自分が悪いんだ」などと自分を責めてしまうそうです。そう思ってしまうと、誰にも相談できなくなってしまうこともあります。なので、「こういうことは性暴力で犯罪なのだ。悪いのは加害者なのだ」という共通認識を社会のみんなが当たり前にもっていることが大事です。
被害に遭ってしまった後いち早くサポートをしてくれる人や場所に向かうことができるかもしれないし、被害をどこかの段階で食い止めることにもつながるかもしれません。

 

吐き出すこと自体が被害者を救うことにつながる

あともうひとつ、#metooで声をあげるという行為、それ自体が被害に遭われた方を救うことにもつながるのではないかと思います。

被害に遭っても、それを誰にも言えない人がたくさんいます。被害に遭った自分を恥ずかしく思ったり、汚らわしく思ったりしてしまい誰にも相談できない人たちがたくさんいるのです。恥ずべきは加害者のはずなのに。

元厚労事務次官の村木厚子さんも就学前に受けた性被害を50代になるまで誰にも言えなかったのだとおっしゃっています。

www.buzzfeed.com

 

「私なりに、なぜこれほど相談できないのかと考えましたが、性に関することは言いにくいんですね。私自身のことを思い出し、これは公の場では言う機会がありませんでしたが......」と、自身の体験を語り始めた。

 

「まだ小学校に上がる前の小さな時に、近所の路地で、中学生のお兄さんに手を引っ張られて、体を触られた経験があります。そこには子どもばかりで大人はいませんでした。私はそのことをずっと誰にも言えませんでした、結婚してからも。40代になり、50歳になったくらいの時に、初めて夫に言いました」


言いたくない人はもちろん言わなくていい。
でもきっと、吐き出すことで少しでも救われる人もたくさんいるはずです。
#metooはそのためにもあるんじゃないでしょうか。

 

口を塞ぐことにつながらないか考えてみて

#metooを魔女狩りのように、なんとなくイヤなもの、自分のやってきたことを否定される感じがすると思っている人もいるかもしれません。
でも、どうやって被害を防止するか、被害に遭った人を救うのかを考えずに#metooを批判するのは間違いだと私は思います。
特に#metoo批判を権力のある人がすることは危険だと思います。なぜなら、声をあげようとしている人の口を塞いでしまうことにつながるかもしれないからです。

何がダメで、何はいいのか。それはケースバイケースなことが多いでしょう。一律に決めるのは難しいだろうと思います。
だからこそ、みんなで一緒に考えていく必要があるのだと思います。

日本でもやっと、声があがり始めました。
「日本は安全なはずだ」と目を背けてしまいたくなるかもしれません。
でも、それは実際にこの日本で起こっていることで、もしかしたらあなたやあなたの大切な人も被害に遭ってしまうかもしれないのです。

でも、そのとき私たちはどうすればいいのかをほとんど知りません。
日本の性暴力被害者へのサポート体制、社会では助けてもらえないかもしれません。

これは、社会問題です。
まずは現状を知る、そしてみんなで話し合うことから始めませんか。

#metooはその第一歩です。