ふぇみえら

feminism era(フェミニズムの時代)略してふぇみえら!フェミニズムブログだよ!

改めて考える #metoo の意味とはなんなんだろう。

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こんにちは、フェミニストのもにかです。

今回は改めて、#metooの意味ってなんなんだろう。ということを考えてみたいと思います。 

改めて考える#metooってなんで必要なの?

#metooをやる意味ってなんなんでしょうか。
私はこれは一言で言えば「共通認識を作っていくため」だと考えています。

  • 日本にも性暴力はたくさんあるということ、どんな種類の性暴力があるのかをみんなが認識する
  • これはいけないことなんだ、やっちゃダメなことなんだ、傷つく人がいるのだという共通認識をつくる=加害を防ぐ

  • これは怒ってもいいことなんだ、断ってもいいことなんだ、声をあげていいことなのだ、性暴力なのだという共通認識をつくる=被害に遭うことを防ぐ


こういう共通認識を作っていくことで、無自覚なものも含め加害を防ぐこと、被害に遭うことを防ぐこと、そして性暴力やセカンドレイプを許さない社会の雰囲気をつくっていくことが重要なのではないでしょうか。

 

日本にも性暴力がたくさんあるという認識をもつ

まず、日本にも性暴力はたくさんあること、どんな種類・ケースがあるのかを知ることがとても重要だと思います。

現状を知らず「日本には性暴力なんてほとんどない」と思ってしまっていると、被害を告白した人を見たときにそれが信じがたいことだと思ってしまいがちなのではないでしょうか。「本当に日本でそんなことあるのか?」という感じで。

また、同様の理由でどのようなケースの性暴力があるのかを知ることもとても重要だと思います。私が最近立ち上げた#metooの声を匿名でもあげられるユーザー投稿型サイト『#metoo』に集まった声を読んでいると、父や兄からの性暴力を受けたという人が少なくないことに私はとてもびっくりしました。
それが実際に起こっていることであり、あり得ることなんだと知っておくことで被害に遭った人への耳の傾け方も変わってくるでしょうし、どんな対策・支援が必要なのかが見えてくるのではないでしょうか。

 

これはいけないことなのだという共通認識をつくる

みんなが声をあげていき「これは本当はいやだったんだ」ということを示していくことで、「これはやってはいけないことなんだ」という共通認識をつくることも大事だと思います。

例えば、昔は学校の先生が生徒を殴ったりするいわゆる体罰は当たり前のことだという"共通認識"でしたよね。でも、今は違いますよね。体罰はしてはいけないことだという共通認識になっています。
「本当はいやだった」「それはやっぱりおかしいんじゃないか」という声が長年かけてあがってきたことで、「体罰はいけないことなんだ」という"共通認識"ができていったのだろうと思います。

つまり、加害をさせない・しないために何がだめなのかという共通認識をつくるということです。

 

性暴力であるという共通認識をつくる

自分の身に何か起こりそうになったとき、または起こったときにそれが性暴力なのかどうか分からないことがあります。性暴力って言っていいことなんだろうか?自意識過剰なんじゃないだろうかと。
だから「こういうことは性暴力だし、断っていいんだよ。我慢しなくていいんだよ」という共通認識をつくることが必要で、そしてそれは性暴力の被害の防止につながるはずです。

また、性暴力の被害に遭った人の多くは「騙された自分が悪いんだ」「あのときあんな場所にいた自分が悪いんだ」などと自分を責めてしまうそうです。そう思ってしまうと、誰にも相談できなくなってしまうこともあります。なので、「こういうことは性暴力で犯罪なのだ。悪いのは加害者なのだ」という共通認識を社会のみんなが当たり前にもっていることが大事です。
被害に遭ってしまった後いち早くサポートをしてくれる人や場所に向かうことができるかもしれないし、被害をどこかの段階で食い止めることにもつながるかもしれません。

 

吐き出すこと自体が被害者を救うことにつながる

あともうひとつ、#metooで声をあげるという行為、それ自体が被害に遭われた方を救うことにもつながるのではないかと思います。

被害に遭っても、それを誰にも言えない人がたくさんいます。被害に遭った自分を恥ずかしく思ったり、汚らわしく思ったりしてしまい誰にも相談できない人たちがたくさんいるのです。恥ずべきは加害者のはずなのに。

元厚労事務次官の村木厚子さんも就学前に受けた性被害を50代になるまで誰にも言えなかったのだとおっしゃっています。

www.buzzfeed.com

 

「私なりに、なぜこれほど相談できないのかと考えましたが、性に関することは言いにくいんですね。私自身のことを思い出し、これは公の場では言う機会がありませんでしたが......」と、自身の体験を語り始めた。

 

「まだ小学校に上がる前の小さな時に、近所の路地で、中学生のお兄さんに手を引っ張られて、体を触られた経験があります。そこには子どもばかりで大人はいませんでした。私はそのことをずっと誰にも言えませんでした、結婚してからも。40代になり、50歳になったくらいの時に、初めて夫に言いました」


言いたくない人はもちろん言わなくていい。
でもきっと、吐き出すことで少しでも救われる人もたくさんいるはずです。
#metooはそのためにもあるんじゃないでしょうか。

 

口を塞ぐことにつながらないか考えてみて

#metooを魔女狩りのように、なんとなくイヤなもの、自分のやってきたことを否定される感じがすると思っている人もいるかもしれません。
でも、どうやって被害を防止するか、被害に遭った人を救うのかを考えずに#metooを批判するのは間違いだと私は思います。
特に#metoo批判を権力のある人がすることは危険だと思います。なぜなら、声をあげようとしている人の口を塞いでしまうことにつながるかもしれないからです。

何がダメで、何はいいのか。それはケースバイケースなことが多いでしょう。一律に決めるのは難しいだろうと思います。
だからこそ、みんなで一緒に考えていく必要があるのだと思います。

日本でもやっと、声があがり始めました。
「日本は安全なはずだ」と目を背けてしまいたくなるかもしれません。
でも、それは実際にこの日本で起こっていることで、もしかしたらあなたやあなたの大切な人も被害に遭ってしまうかもしれないのです。

でも、そのとき私たちはどうすればいいのかをほとんど知りません。
日本の性暴力被害者へのサポート体制、社会では助けてもらえないかもしれません。

これは、社会問題です。
まずは現状を知る、そしてみんなで話し合うことから始めませんか。

#metooはその第一歩です。

クソオスというフェミニストたちを責めるべきではなかった

こんにちは、もにかです。

 

以前私はこんなブログを書きました。

 

www.feminism.jp

 

このブログについての反応は賛否両論でした。

中には、私のこのブログに書いてあることを『フェミニスト批判』に利用している人もいましたね。
本当にいろんな嘘や歪曲を用いて「日本のフェミニストは終わってる」「日本のフェミニストはやばい」って方向にどうしてももっていきたいみたいだけど、本当に論外ですね!

全然、日本のフェミニスト終わってないですよ。
私はこれからがとても楽しみですよ。

と、まずこれについては最初にちゃんと言っておきたいなと思った次第です。

 

それでは本題。

 

あのブログに書いた内容については、批判もいただいていてあれから何度も読み返してどこをどう間違えてしまったのかを考えてきました。

でも今でも全てにはっきりとした答えはでません。
フェミニストの活動がどういうものであるのがいいのか、どう発信するのがいいのかそれは私にとってはとても難しい問題です。

また、あのブログについて書いたそれぞれの内容について「あれはこう言うべきだった。ここがこう間違っていた」と言うつもりはありません。それは今後の発信の中で伝えていくことだと思うからです。

ただ、ご批判をいただく中で明確にこれは私が間違っていたし、今きちんとこういう形で伝えなければいけないと思うことが出てきたので今日それをお伝えしたいと思います。

 

私はあのブログで「クソオスという人はフェミニストではない」と書きました。
でもそれは間違っていました。

フェミニスト的な人(自称していない人も含む)の中には、過去に男性にひどいことをされミサンドリー(男嫌い)になっている人もいるはずです。また、ネット上ツイッター上での女性蔑視発言は本当に深刻で、そのひとつひとつと向き合い今までずっと戦い続けてきた人たちはものすごく消耗し、傷ついてるのだと思います。

あのブログには、そんなみなさんへの配慮が全く足りていませんでした。

私はそういう追いつめられ苦しい立場に立っている人たちに全然寄り添えていなかったのだなと今では反省しています。そういう方たちに対しては本当に申し訳なかったと思います。ごめんなさい。


 

私はフェミニズムの闘いは決して「女性vs男性」ではないと信じています。でも、その理想を考え方の違うフェミニストの人たちに押しつけ、彼女たちのやり方を否定するのは間違っていたなと今では思います。
フェミニストにもいろんな考え方の人がいる。そして、それぞれがそれぞれのやり方で闘っていくのがよいのかなと今は思っています。

 

最後に繰り返しになりますが、私の書いたことでつらい思いをさせてしまって、すみませんでした。
本当にごめんなさい。

 

 

 

『詩織さんと共に声をあげようキャンペーン』署名は匿名でも大丈夫です!

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

11月28日よりchange.orgという署名サービスを使って、詩織さんへの支援の声を集めるための署名キャンペーンを始めました!

 

 

12月7日時点で、2万人を超える方からご署名いただいています! 

署名は匿名でもOK!

中には、キャンペーンに賛同したことをキャンペーンページ上などで公開したくない。という方もおられると思います。

大丈夫ですよ!
ちょこっとチェックを外せばOKです!

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特に今回は性暴力に関する内容のキャンペーンです。
人によっては、自分の名前が出てしまうことに不安を感じる方がいるかもしれません。

匿名でも全く構いません。そして署名は1分ほどでできます!

ぜひ、詩織さんと日本にもたくさんいる性暴力の被害に遭われた方に「あなたはひとりじゃない」と、そして社会に「私たちは性暴力を絶対に許さない」と伝えませんか!

性暴力は決して女性だけの問題ではありません。
被害に遭うのは女性だけではありません。男性も被害に遭うかもしれないのです。
また、あなたの大切な人が被害に遭ってしまうかもしれません。

性暴力は社会全体の問題です。

署名は1分ほどで終わります。ぜひ、賛同をお願いします!
#私たちの光

 

詩織さん署名キャンペーンがbuzzfeedで取り上げられました!

www.feminism.jp

 

buzzfeedさんに詩織さん署名キャンペーンについて取り上げていただきました!

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

先月の28日より『性暴力の被害者が救われる社会にするために、詩織さんと共に声をあげよう!』という署名キャンペーンをやっております。

 

 

このキャンペーンについて、なんとbuzzfeedさんに取り上げていただきました!

www.buzzfeed.com

このキャンペーンを立ち上げるまでの経緯などについてお話させていただきました。

このキャンペーンの効果や意味について疑問を持っている方もいるようです。
署名を詩織さんに渡しても何の意味もないのではないか。法務省や警察庁に訴えねばいけないのではないか。
おそらく、詩織さんの件について、性暴力の問題について真剣に考えている方ほどその心配があるのではないかと思います。

その気持ちはとてもよく分かります。私も当初は、制度や刑法を変えるよう直接的に訴えるものがいいのではないかと考えていました。

ではなぜ、今回のような「詩織さん宛に」「みんなで声をあげよう」という形にしたのか。その理由をbuzzfeedさんの取材ではお話させていただきました。
ぜひ、ご一読ください。


#私たちの光

今話題のコンビニエロ本どう思う?ふぇみブロガーもにかの考えはこれだー!

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

さてさて。
ミニストップさんがやってくれましたねぇ〜

www3.nhk.or.jp

ミニストップさん、エロ本やめるってよー!
サンキュー!ミニストップーーー!!

ということで、もうみなさんお分かりでしょうが
私はコンビニエロ本の販売中止賛成派です。

今日は、なぜ私はコンビニにエロ本はない方がいいと考えるのかをお話していきます。

 

女性を性的消費することは堂々としていいことじゃない!

結論から言うと、私がコンビニにエロ本はない方がいいと考える最大の理由は、コンビニという日常の中でふらっと訪れる場所にエロ本があることで「日常的に女性は性的消費をしてもいいものなんだ」というメッセージを与えてしまう可能性があるからです。

コンビニというのは、エロのためだけの場所ではありませんよね。
「アイス欲しいな」と思ったら立ち寄る。「喉が乾いたな」と思ったら立ち寄る。
そんな、日常的な場所です。

そういう日常の場所に当たり前のように女性を性的に消費するエロ本が置いてある。そうすると、まるで女性を性的に消費することは日常のものであり、当たり前のものであり、堂々としていいものなんだ。というようなメッセージを与えてしまうと思うのです。

日常の中で「おーあの姉ちゃん、いいケツしてんなぁ〜」と心の中で思うとかそういう性的消費は勝手にしたらいいんですよ。

それぐらいなら、私もいい身体した好みの男性がいたら思ってますw「ふ〜きみきみ〜いい広背筋だね〜」って思ってます。はい。
(後述するけど、「anan」とかの表紙の性的消費はたぶんこういう感じなんだよね。)

というか、極端に言えば本当に心の中だけならいくらでも勝手にどうぞ。

でも、どう考えたってコンビニに置いてるエロ本の性的消費の性質ってそういうものじゃないでしょ。表紙まで「バリバリエロ本ですー!女を性的に消費しますー!!」感満載なわけで、全然心の中だけに留められてないじゃん。

 

表紙のエロ度を抑えればOK?

じゃあ、表紙のエロ度を抑えればいいんじゃないのか。って思いますよね。
私も書いててそう思ってたところです。

そうねぇ。表紙のエロ度を(かなり)抑えるプラス立ち読みできないように(あと後述する表現内容の精査も併せて!)したら売ってもいいんじゃないかな!ノーモア立ち読み!

だってさ、具体的に想像したときに結局その場で立ち読みできちゃうとさ、コンビニのその場でこう過激なページをばーんと開いてたりする人がいるわけでしょ。
それ、バンバン日常的な場で堂々と「女を性的に消費」しちゃってるじゃん。

なので、どーーーーしてもコンビニさん達があのレベルのエロ本を売り続けたいならメーカーさんに表紙を大きく変更してもらうか、表紙を見えなくして、なおかつ縛るなりなんなりして立ち読みできないようにしましょー!
私はそれが必須だと思いまーす!

 

『anan』はいいのか!!

この件についてツイッターでいろいろ見てると「コンビニエロ本だめ!」って言われむかついたんでしょうね。「『anan』だってこーーんなエロいののせちゃってるぞ!!!だめじゃないか!!」っていう反論をみたんですけど。

たしか『anan』って表紙ではそういうのちゃんと隠してるよね?上裸のセクシーイケメンがこっちをエロい目で見てるとかその程度だよね。

ちゃんと見たことないのでここは推測になっちゃうのですが、おそらく中身だって今問題になってるみたいなエロ本のような過激なものではないでしょう?もし、そうなんだとしたらそれは立ち読みできないようにするとかしたらいいと思う。

 

そもそもそれエロじゃなくて性暴力だからね。犯罪だからね。


そう。内容やばくない?
これは、AVにも言えることなんですけど「レイプ」「痴漢」「盗撮」「強制中出し」とか普通に書いてあるじゃないですか。ジャンルとしてあるじゃないですか。
いやいや、それ犯罪だから。

「中出し」とかも避妊をしないセックス推奨するのってかなり危険なことでしょう?それで妊娠するのは誰?女でしょう?ふざけんじゃねーよ。

あと「JKもの」とかも当たり前にあるよね。実際にJKじゃないとしても、JKという属性を性的消費することは当たり前のことだぜ!ってそれでいいの?って思うんですよ。
子供を性的な対象にすることを肯定するような社会でいいんですかと!(ということで、子供を描いたエロ漫画、エロアニメも私は反対)

だから、エロ本をコンビニに置く置かないの議論とは別にAVなどを含めたエロ全般の内容、倫理基準についての議論も必要だと私は思います。しかもかなり急務。

もちろんこれは、表紙にのせなければいい、はっきりと文字で書かなければいいっていう話じゃない。なぜなら、それが当たり前のこととして社会にあるという点が問題だから。
それらは犯罪であったり、望まない妊娠の危険がある行為を肯定するようなメッセージになりうる。そういうものが当たり前にエロ本やAVなんかに登場すれば「あぁ、痴漢やレイプは性的に消費していいことなんだな。」と思い込んでしまっても仕方ないんじゃないだろうか。

 

性暴力を軽視する文化への責任

日本では、会社や接客の場での"おさわり"や痴漢やレイプがかなり軽く扱われている。その原因には、それらのニュースをまともにとりあげない、なんならバカな司会者とその取り巻きたちが事件を茶化したり、被害者側にも落ち度があったなんていうこともある、そんなメディアのあり方というのはかなりあるだろう。その責任は重い。

あとは、性教育の不十分さ。これもある。かなり遅れてる。

これに加えて、AVやエロ本などのエロコンテンツのあり方というのもひとつの原因だと私は思う。

「痴漢をされているうちに感じてきて...」「レイプなのにこんなに感じちゃうなんて..」
そんなものが当たり前に社会に存在してたら「あぁ、そういうものなのかな」と思い込んでしまったり、軽く扱ったり、ネタにしたりとなってしまっても仕方ないでしょうと思う。

「痴漢もの」「レイプもの」「盗撮もの」という性暴力を性的コンテンツとして消費することを当たり前のこととする。これはかなり問題だと私は思う。

性暴力とエロは全く違います。
性暴力表現満載のエロ本、AVの表現については今後議論と大幅な改善が必須です。

 

あとがき

ということで、まとめますとー
コンビニでエロ本を販売することには反対です!
そして、今後エロ本はもちろんAVなどをはじめとしたエロコンテンツはその表現内容について議論と改善が必須です!

というのが私の意見でございます!

最後にもう一度、サンキューミニストップ!!ハロハロ買いにいくぜー!
あ、あと他のコンビニさん。よろしくね!

それでは、またねー

伊藤詩織さん著『BlackBox』勝手に献本キャンペーン始めます。

<11月10日追記>
こちらに記載し忘れていましたが、献本キャンペーンについては諸事情により一旦取り下げています。
また別のアクション起こしていきますので、その際はぜひご協力お願いします。

<10月30日追記>
取り急ぎ、

polca(ポルカ)- フレンドファンディングアプリ

という小額での支援も可能なアプリにてキャンペーンを開始しました。
ご支援いただける方は下記のアドレスからキャンペーンページに飛べます。
(※ご支援にはpolcaのアプリのインストールが必要です。お手数おかけいたしますが、よろしくお願いいたします。)

↓polcaでのご支援はコチラから↓
https://polca.jp/projects/COiJIDc0PCS

CAMPFIREの方は現在申請中ですので、今しばらくお待ちください。

ですので、以下の通りpolcaとCAMPFIREの両方でご支援を募ります。

今回、このように分けさせていただいたのは500円という比較的小額でのご支援も募ることでより多くの人にご参加いただけるのではないかと考えたためです。
(※CAMPFIREでは3,000円以上からしか金額の設定ができません。)

また、リターンについても私のブログでのメッセージにてお礼とさせていただきます。
(※ブログでのメッセージでご支援者様のお名前などは一切出ません。)
ご了承ください。

 ↓polcaでのご支援はコチラから↓
https://polca.jp/projects/COiJIDc0PCS


ご不明な点などございましたら、Twitterにてご質問いただければできる限り回答いたします。

こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

勝手に献本キャンペーン<BlackBox編>始めます。

先日の10月18日、伊藤詩織さんが『BlackBox』という本を出版されました。

真実は、ここにある。 なぜ、司法はこれを裁けないのか? レイプ被害を受けたジャーナリストが世に問う、 法と捜査、社会の現状。 尊敬していた人物からの、思いもよらない行為。 しかし、その事実を証明するにはーー密室、社会の受け入れ態勢、差し止められた逮捕状。 あらゆるところに〝ブラックボックス〟があった。 司法がこれを裁けないなら、何かを変えなければならない。 レイプ被害にあったジャーナリストが、自ら被害者を取り巻く現状に迫る、圧倒的ノンフィクション。

(引用:Amazon『BlackBox』商品紹介)

しかし、この本や事件についてマスメディアでの報道や著名人からの発信はまだまだ少ないのが現状です。

そこで、クラウドファンディングでプロジェクトを立ち上げることにしました。
現在キャンペーン準備中です。
公開され次第こちらのブログと私のTwitterにてご報告いたしますので、今しばらくお待ちください。

キャンペーンの概要

著名人などに対して伊藤詩織さん著『BlackBox』を献本するキャンペーンです。

キャンペーンの目的

当キャンペーンは、メディアやSNSで伊藤詩織さんについて取り上げてもらい、この本と詩織さんの訴えについてより多くの人に知ってもらうことで日本の性暴力に関する司法や社会のシステムを変えていくことを目的としています。

本を送る対象

自身の番組で取り上げてくれることに期待し、まずは情報・報道番組のMCをしている著名人を対象とする予定です。
いずれ、図書館や学校にも置いてもらえるように動いていきたいと考えています。

拡散用ハッシュタグ

当キャンペーンの拡散にご協力ください。
Twitterやインスタグラムにて
#勝手に献本BB編
#Fighttogetherwithshiori
のハッシュタグをつけて、当ブログ、もしくはクラウドファンディングのキャンペーンページ(現在、未公開)を拡散いただきたいです。
よろしくお願いいたします。

最後に

今ここで、この本や事件についての大きな議論を巻き起こさなければ真実は明らかになりません。

日本でやっと起こり始めたこの小さな波を私たちの力で大きなうねりにしていかなければいけない。
詩織さんと共にブラックボックスに光を当てましょう。

日本の司法、報道は正しく機能しているのか。
日本の性犯罪への対策、被害者への捜査、サポートの不十分さ。
そして、日本の性犯罪への偏見、タブー視。

今闘わなければ、本当にこのままかもしれません。
彼女と共に闘いましょう。

#Fighttogetherwithshiori

プロジェクトの公開まで、今しばらくお待ちください。


私は伊藤詩織さんと共に闘うことに決めた。#FightTogetherWithShiori

こんにちは、フェミニストのもにかです。

今年(2017年)の5月29日に詩織さんが記者会見を行いました。

そして先日の2017年10月18日、伊藤詩織さんは『BlackBox』という本を出版し

 

またその数日後の25日に外国特派員協会にて記者会見を行いました。


【録画】ジャーナリストの伊藤詩織さんが会見(2017年10月24日)



私は最初に彼女が記者会見をしてからこれまで、この問題についてほとんど何もアクションを起こしてきませんでした。
「どこかの団体が取り組んでくれているだろう」と思い込んでいたのです。
でも、そうではありませんでした。

今闘わなければ本当に日本はずっとこのままかもしれません。

私は伊藤詩織さんと共に闘うことに決めました。

具体的に何をしていくのか、どう闘っていくのか、正直よく分かりません。
でも何かあるはずだし、それに何よりもまずは声をあげることがとても大事なことだと思うのです。
日本の司法システム、社会のシステム・在り方と闘っている彼女を1人にしてはいけない。

「逮捕もされていないのに、この問題について触れていいのだろうか。」 

私が今まで、この問題についてあまりアクションを起こしていなかったのにはもうひとつ理由がありました。
それは「逮捕もされていないのに、この問題について触れていいのだろうか。」という懸念があったからです。

この事件に関するいくつかの記事を読みました。
そこに書いてあることが事実なのであればそれはレイプに間違いないと思いました。

でも、出てくるのは詩織さんが語った事件の概要ばかり。片側からの主張だけを見て判断していいのだろうか。そう思っていました。

ですが今になって考えてみると、そもそもほぼ彼女の側からの証言しか出てこない。それ自体がおかしいのです。
彼女は、山口敬之氏の逮捕を直前で取りやめにするというまさにその指示を出した張本人である当時の警視庁刑事部長 中村格(いたる)氏に「なぜ逮捕を取り止めたのか」その理由についての説明を何度も求めており、文書も送っているそうですがいまだに何の説明もないそうです。

なぜ事件の当事者へさえも何の説明もないのでしょうか。
この事件に関わった詩織さん以外の人間からの主張がきちんと表に出てこないこと自体がおかしいのではないでしょうか。

メディアで扱われない、それ自体がおかしい。

また、この事件についてあまりメディアで取り扱われていないことも、この事件に触れていいものかと懐疑的になってしまう理由のひとつでした。

ですが、この事件がメディアで取り扱われないこと自体がおかしいのです。

レイプというのは些細な事件なのでしょうか。しかも、その被害者であるとされる人物が実名で顔を出して会見をしているのに。
それとも、この事件を扱えない何かがあるのでしょうか。

私にはなぜなのかその理由は分かりません。でも、理由が何にせよこの事件をメディアが扱わないことそれ自体が問題なのです。
日本のメディアなのだからまともだろう。なんとなく、そんな風に信じ込んでいたのかもしれません。

彼女は日本の司法システム、社会のシステムと闘っている

「逮捕もされていないのに、この問題に触れてもいいのだろうか。」それは、犯罪を犯したとされていない人を犯罪者扱いしてしまうことになるのではないだろうか。それはまずいのではないだろうか。という迷いでした。

しかし、先日出版された詩織さんの著書『BlackBox』を読んで、そして彼女の10月25日の記者会見を見て私は詩織さんと共にこの問題と闘うことを決めました。

「逮捕もされていないのに、この問題に触れてもいいのだろうか。」そう考える必要はないのだという結論に至った大きな理由は大きく2つです。

まず、一つ目は彼女は日本の司法システム、社会のシステムと闘っているのだということ。

著書の中でも彼女はこのように述べています。

繰り返すが、私が本当に話したいのは「起こったこと」そのものではない。
「どう起こらないようにするか」
「起こってしまった場合、どうしたら助けを得ることができるのか」
という未来の話である。それを話すために、あえて「過去に起こったこと」を話しているだけなのだ。

(引用:伊藤詩織『BlackBox』[文藝春秋、2017] )

もし仮に、私たちが知らない事実があり山口氏のやったことがレイプではなかったとしても。彼女が訴えている、日本の性犯罪の捜査のプロセスの未熟さや、性犯罪の被害者のサポートがかなり不十分であること、そして性犯罪の被害者への偏見は紛れもない事実です。山口氏が不起訴であろうがそれは事実なのです。

彼女が訴えていることの核はそこです。彼女は日本の性犯罪の司法システムや社会システムと闘っているのです。

であれば、一緒に闘わない理由はありません。

これがレイプと認められないこと自体がおかしい

次に2つ目の理由は、本に書かれている事実として認められていることから考えてこれがレイプと認められないこと自体がおかしいと私は考えるからです。

 

最後に整理しておきたい。
あの日の出来事で、山口氏も事実として認め、また捜査や証言で明らかになっている客観的事実は、次のようなことだ。

  • TBSワシントン支局長の山口氏とフリーランスのジャーナリストである私は、私がTBSワシントン支局で働くために必要なビザについて話すために会った。
  • そこに恋愛感情はなかった。
  • 私が「泥酔した」状態だと、山口氏は認識していた。
  • 山口氏は、自身の滞在しているホテルの部屋に私を連れて行った。
  • 性行為があった。
  • 私の下着のDNA検査を行ったところ、そこについたY染色体が山口氏のものと過不足なく一致するという結果が出た
  • ホテルの防犯カメラの映像、タクシー運転手の証言などの証拠を集め、警察は逮捕状を請求し、裁判所はその発行を認めた。
  • 逮捕の当日、捜査員が現場の空港で山口氏の到着を待ち受けるさなか、中村格警視庁刑事部長の判断によって、逮捕状の執行が突然止められた。

検察と検察審査会は、これらの事実を知った上で、この事件を「不起訴」と判断した。
あなたは、どう考えるだろうか。

(引用:伊藤詩織『BlackBox』[文藝春秋、2017] )


詩織さんは山口氏がレイプドラッグを使用した可能性もあると言っています。彼女はお酒にとても強く事件当日のんだ程度の酒量で泥酔してしまうことは今まで一度もなかったのだそうです。しかし、彼女が警察へ向かったのは事件から数日経った後のことだったので仮にレイプドラッグを服用させられたとしても証拠がないのです。
なので、レイプドラッグが使用されたかどうかは分かりません。

でも、そもそも泥酔している人間に対して性行為をすること、もうそれだけでそれはレイプになりうるのです。相手が「合意はなかった」と言うのなら、それはもうレイプなのです。

私は、上記の今回の事件に関する事実とされていることから考えるとこれがレイプにならないこと、それ自体がおかしいのだと考えます。

私たちは性行為の合意に関する意識を大きく変える必要があるのではないでしょうか。

最後に

私は伊藤詩織さんと共に闘います。

冒頭でも述べましたが、これから具体的に何をしていくのかはまだほとんど見えていません。私はTwitterのフォロワー数も多くないし、このブログだって見てくれている人は多くありません。

でも、何よりもまずは私たちが声をあげることが重要です。

今年、性犯罪に関する刑法が改正されました。これには110年もの月日がかかりました。 これは、性暴力の被害者やその周りの人たちが声をあげ続けたことでやっと変わったのです。

また何十年も、誰かが変えてくれるのを、その間に自分が被害に遭いませんようにと願いながら待つ。それでいいのでしょうか。

この流れを止めてはいけない。
日本でやっと起こり始めたこの小さな波を私たちの力で大きなうねりにしていかなければいけない。

彼女は闘うと言っている。

これまでの月日、私は当事者としてジャーナリストとして、この「ブラックボックス」にいかに光を当てるか、そのことに集中してきた。
しかし、箱を開こうとすればするほど、日本の捜査や司法のシステムの中に、新たなブラックボックスを見つけることになったのだ。

あの日起きたことー私自身の体験、相手方の山口敬之氏の言葉、捜査、取材で明らかになった事実については、これから本書を読んで頂きたい。みなさんがどう考えるかはわからない。
それでも、今の司法システムがこの事件を裁くことができないならば、ここに事件の経緯を明らかににし、広く社会で議論することこそが、世の中のためになると信じる。それが、私がこの本をいま刊行する、もっとも大きな理由だ。

(引用:伊藤詩織『BlackBox』[文藝春秋、2017] )


ブラックボックスに光を。

私は伊藤詩織さんと一緒に闘います。

#FightTogetherWithShiori

 

AVAN代表川奈まり子さんインタビューからみえてきたAV業界の現状と今後(後編)

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

前回から引き続き、こちらの記事『AVAN代表 川奈まり子さんご回答全文』にて公開した真空パックAVなどについてのAVAN代表川奈まり子さんとのやり取りの中で見えてきたAV業界の現状と今後について前編と後編に分けてお送りします。

前編はこちら

www.feminism.jp

また、こちらも併せてご覧ください。

www.feminism.jp

 

そしてこの後編では前編の「AV業界の現状」を踏まえた上で、AV業界の課題と今後についてお伝えしていきます。

適正AVに参加しないと儲けられない状況をつくる

まず、一番重要な点はここです。
適正AVという概念をつくっただけでは、そこに加盟している団体のものについては健全化されていっても、結局それ以外のところで撮影プロセスがあまりにも危険なものや、倫理基準のゆるすぎるものが作られていってしまいます。

それを防ぐためには「適正AVに参加しないと儲けられない」状況をつくっていくことが大事なのではないでしょうか。

そのためには以下のようなことが今後重要な点になってきます。

・適正AV以外は違法性が疑われてしまうような流れにしていく

川奈さん:適正AV以外はすべて違法性が疑われてしまう、逮捕されたくない、商品を売りたい、だから適正AV業界に入って、AV業界改革推進委員会の規則に従おう!……という流れが確立することを願っています。

(ただし、危険な制作を行う業者が地下化することには、AVANとしては懸念を示しています。地下化を防ぐためにも過度の法規制には反対してます)

 つまり、適正AV=表、メインのAV業界、適正AV以外=裏のAV業界として明確に線引きをして、適正AV以外のものは違法性が疑われても仕方がないような状況にしていくのです。

 ・AVを取り扱う大手のレンタル店やweb配信サイトから適正AV以外を締め出す

川奈さん:IPPA未加盟メーカーのポルノは、ちゃんとしたショップからは締め出されればいいんですけど……。

すでに同人AVはDMMからは締め出されました。IPPA未加盟メーカーについても販売や配信を停止する方針だと耳にしたことがありますよ。 現在どうなっているか私は確認していませんが、その話を聞いたのは2月頃のことですから、多少進展しているのではないでしょうか。


この点については既に、IPPAから販売業者団体に向けて無審査ビデオの取り扱い停止要請をしており(取り扱い停止要請文はコチラ→ http://www.ippa.jp/pdf/ippa-musinsang20160713e.pdf)、今後の進展が期待できるのではないでしょうか。

「AVはフィクション、出演者はプロ、高頻度の性病検査」の徹底周知

出演者はプロでありAVはフィクションであること、そして性病検査などもかなり頻繁に行っていることを周知することもとても重要です。

真似を禁じる但し書きをつけようという動きは適正AV界隈で、すすんできているそうです。しかし、現状はメーカーごとの対応だとのこと。

川奈さん:ですから、一個人としては、最低でも、「真似をしないでください」といった但し書きぐらいは、どのAVにも付けたほうがいいと思っています。

AVメーカーによっては、内容にもよるのかもしれませんが、何らかの但し書きを付けているそうです。

が、現時点ではIPPAは加盟メーカーに対して、そうした但し書きを義務化していません。

AVは出演している女性を含めて一種のプロの集団によって創作された商品であり、簡単そうに見える表現の裏には、日常化した性感染症対策や安全策が標準的に取られているということは、広く社会に知られた方がいいと思うのですが……。

但し書きは、リアリティを求める購買者のニーズには逆行する可能性が高く、売り上げを第一に考えるメーカーにとっては邪魔なのかもしれません。

しかし、真似を禁じる但し書きは、模倣による一般人の加害と被害を防止できますし、容易には真似られないものだと作り手が宣言することにより、AVの創作物としての価値を世間に知らしめることにもなるのではないでしょうか。

これは私だけの考えではなく、IPPAとAVANが昨年行なっていた「表現者の権利を守る会合」では、メーカー側の理事からも、私が前述したのと同じような理由に基づいて、但し書きの義務化を推す意見が出されたことがあります。

ですから、未だ検討課題の域ではありますが、第三者委員会の後押しがあれば、実現する見込みはあると思います。

 

川奈さん:AVに限らず、あらゆる創作物・表現物は、人の精神と社会に影響を与えます。

事実、AVで出演者たちがしていたことを真似て、顔射したがったり、SMゴッコをしたがったり、セックス・トイを使いたがったりする男性や女性と出逢ったことが私はあります。

けれども、顔射したせいで、女性が眼球や耳から性感染症に感染した例もあると、性感染症対策専門のクリニックの医師から聞いたことがあります。

 

川奈さん:一般の方が緊縛モノのAVに影響されて女性を縛れば、怪我をさせることもあるでしょう。

 

AVで緊縛を行なう縄師は、先輩縄師に弟子入りして長期間にわたり修行を積んだプロフェッショナルであり、人体に大きなダメージを与えることなく美的に縄で縛ることに熟達しています。

素人が形だけ真似れば、パートナーに深刻な後遺症を伴う傷害を負わせる可能性が低くありません。

 

川奈さん:AVの出演者たちが、1〜3週間に一度という非常に高い頻度で性病検査を受け(現在は多くのメーカーで義務化)、健康管理を徹底していることを、一般の方々はご存知ないと思います。 

 

AVはフィクションだということなど分かりきったことだと思っている人がほとんどでしょう。しかし、本当にそうでしょうか?

相手の女性が痛がっていても「大丈夫。そのうち気持ちよくなるから」とか言う人いませんか?性器が傷つくようなガッシガシな手マンをしたりする人いませんか?

相手の女性と本当に向き合えていますか?「AVではこうだったし、今までの相手も気持ち良さそうにしてたから」って思い込んでやってませんか?今までの相手はあなたを傷つけるのが嫌で言えなかっただけかもしれませんよ?

女性の方も「AVでこう描かれているんだから、これを気持ちよく思えない自分がおかしいんだ」と思ってしまっていませんか?それで、相手に何も言えずにいませんか


AVがフィクションだと本当に理解できている人なんて実際、どれほどいるのでしょうか?

真似を禁じる但し書きについては必須ではないでしょうか。
しかし、それだけでは全くもって不十分です。これらの「出演者はプロであり、AVはフィクションであること、そして出演者は高頻度で性病検査を行っていること」は様々な方法で、今後どんどん周知していくべきです。
学校の性教育で教えることなども検討していくべきではないでしょうか。

 

表現内容やAVが社会に与える影響についての深く、開かれた議論

適正AVという概念が広がり、それ以外のものが違法性が問われるような状況になっていったとして、適正AV業界内が時流にマッチした状態で健全であり続けるためには一般に開かれた深い議論がされ続けなければいけません。

この点について、川奈さんは以下のようにおっしゃっていました。

川奈さん:一方、AVが社会に与える影響については、AV業界の中では広く・深く議論されたことはないかもしれず、今後の課題であると私は思います。

個人的に、AVAN代表としてではなく、1人の女性としての私自身は、ポルノが存在する国と存在しない国の性犯罪の発生率などの統計を根拠にして、「AVがあるおかげで犯罪が抑制されているのだ」とAV業界人が主張することは、業界人として好ましくない態度であり、控えた方がいいと思っています。

 

例えば、今回の事の発端である真空パックAVや痴漢、レイプものなどについて"そのようなものを規制することで、その性癖の持ち主の欲求のハケ口がなくなりかえって危険だ。"というような話も聞きます。
たしかに、もしかしたらそうかもしれない。

でももしかしたら、AVでそのような性癖を解消する以外に他の解決方法があるかもしれないし、そもそもその説自体も確かなものではありません。
また、それらの作品の公開方法などにも改善の余地はまだまだあるのではないでしょうか。

このような点については、深く研究や議論がすすめられていくべきではないでしょうか。

 

販売期間を発売から5年に限る

また現在、適正AV業界では作品の販売期間を5年に限るという方針が検討されているそうです

川奈さん:また、現在は適正に制作しているメーカーでも、過去の作品となると、倫理審査基準も現在よりゆるく、第三者委員会による提言も受けていないため、今のモラルにマッチしていないケースがあります。

倫理面に問題がある古い作品の中には、今でも販売が継続されて市場に出回っているものもあり、それらがAV業界の改革を見えなくしているということは言えると思います。

現在、AV業界ではIPPAを中心に販売期間を発売から約5年に限るとする方針が検討され、実施が待たれているところです。

古い作品が市場から消えることは業界の改善状況を可視化するだけでなく、現在は一般人として生活している元AV女優たちの大多数の願いでもあると思い、早期の実現を目指す動きにAVANも協力したいと考えています。

 
元AV女優の方々を守るためにも、また時流にマッチした作品だけが市場にあるという状態をキープするためにも必要な対策なのではないでしょうか。

「売れなくなるから表現規制は慎重に」はおかしい

また、AVの表現についての話題の中で川奈さんからこのようなお話も出ました。

川奈さん:一個人としては、私はAVの表現内容が過激な場合や倫理的に問題があれば但し書きを必ずつけるべきだと思うし、表現内容の倫理審査は今よりさらに厳しくなっても構わないと考えていて、業界内の会合の席では再三そのように主張してきました。

しかし、表現規制には慎重ですよね、AV業界全体が。

慎重になる理由は、先にも述べましたが、いわゆるネットの表現の自由原理主義的な意見とは違っていて、ようするに、「売れなくなるから」という、商売人の防衛本能によるもののようです。

IPPAの理事会が業界の大きな動向を決定していると言ってもいいと思うのですが、そこでは何事につけ「売れなくなったらどうする?」という声が繰り返し出されている次第です。

なぜかというと、IPPAの各理事はメーカーの役員や代表なので、自社の売り上げを立てる義務を負っているからです。

売れなくなりそうなことに及び腰になるのは、各社の社員や関連業者に対する責任を感じているためなのです――この関連業者にはプロダクションも、女優をはじめとするAVの出演者も含まれます。


私はこれについては適正AV業界は姿勢を改めるべきなのではないかと感じました。

この姿勢は日本のお笑いが、おもしろいからと(おもしろくないんだけどね)差別的な発言をやめない姿勢に似ているなぁと感じました。

非営利団体じゃないんだから、企業が売り上げを追求するのは当たり前のことです。しかし、AVには大きな影響力があります。「性」という人間にとって避けられない部分を扱っているのです。そのことをぜひ、そのプロフェッショナル精神でもって改めて業界内できちんと考え直していただきたいと思います。 

AVのみ規制することの問題点&法規制の危険性

しかし、痴漢やレイプを描くことなどをAVに限って規制することには問題があること、そしてそれを法律で禁止することには危険な面もあることもお話いただきました。

川奈さん:しかし演技・演出による「性犯罪の設定」をAVにおいてのみ禁止することには、AVだけではなく表現活動を行う幅広いジャンルの創作者と創作物の支持者が反対しているようです。

反対する理由は……

・現在ではメディアミックスが盛んに行われており、同じ作品のAVバージョンと映画バージョン、或いはVシネマバージョンなどが存在する例などもある。AVと映画・AVとVシネマ・AVとゲームなどにグラデーションの部分が存在し、切り分けはAV(というジャンルと関係者)に強いスティグマを負わせるのみならず、そもそも完全に出来るものではない。

・創作物の表現の自由はできるだけ守られるべきだとする考えに則ると、見たくない人に対してはゾーニングで対処すればよく、表現内容がどうであれ、現実に新たな被害者を積極的に生んではいない(出演者の安全が確保され、見たい人だけが見るように工夫されている)創作物を禁止する理由になるとまでは言えない。

・残虐表現や性暴力表現は、文学や映画、マンガ、現代美術にも存在し、「現実に被害者がいる犯罪などを模しているから(或いは、想起させるから)」との理由によるAVの表現内容規制は、容易にAV以外の他のジャンルに飛び火し、法規制が行われれば為政者による言論統制の引き金になる。

……こんなところでしょうか。

 

 

川奈さん:法規制は、恐ろしいものです。

とくに、はてしないグラデーションや解釈論が存在する「性表現」「性労働」を法規制すれば、後々、国の為政者がいかようにも法を捻じ曲げて解釈し、運用できてしまいますから、とても怖いことだと思います。

法規制ではなく、民間の自主規制によって、時流にあわせて表現を調整していくのが望ましい。私はそう思います。


私は痴漢やレイプなどの性暴力を安易にコンテンツとして描くことには反対です。なので、川奈さんとお話するまではAVで痴漢やレイプを描くことを法規制するべきだと考えていました。

ですが、たしかに「痴漢モノ・レイプモノは禁止」としたところでどこからどこまでをレイプを描いたものとするのかとか、そこらへんの定義はとても難しいものだし、その解釈を捻じ曲げてイタチごっこになってしまう可能性もある。
さらに、それをAVにだけ禁止してしまうのはAV関係者にスティグマを負わせてしまうことになる。

なので、安易に法規制はするべきではなく内部の自浄作用を高めていく方向にもっていくほうが効果も出やすく安全なのかもしれません。

ただやはり、痴漢モノ・レイプモノなどの性暴力をメインコンテンツとした作品については反対です。この点については、先に述べたように研究や議論を重ね改善を求めていきたいと考えます。
 

あとがき

さて、前後編にわたってお送りしてきましたがいかがでしたでしょうか?

今回、私がお伝えしたのはAV業界のほんの一面に過ぎないかもしれません。もっと議論や問題の解明が必要な点があるのかもしれません。

しかし、今後AV業界がさらに議論を重ね、より改善をしていくため、また業界内で働く人たちの安全のためにもAV業界自体をできるだけ表に表に出していくことはとても重要です。

AV業界、また業界内で働く人たちを決して社会から排除せず、また、娯楽的コンテンツという側面からだけではなく、AV業界にある社会問題的な部分にもきちんとスポットをあてていくべきではないでしょうか。

「適正AV」の概念はその大きな一歩かもしれません。
きちんとAV作品をつくっている人たちに関しては、きちんと守られるべきだし、その上でAV業界をどんどんよいものにしていってほしいと思います。そして、それ以外の悪質なものに関してはどんどん淘汰されていけばいいと思います。

最後に、今回本当に快く、ご丁寧にご対応くださった川奈まり子さん、そしてAVANの関係者のみなさまには心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。


個人的には、フェミニストとAV関係者で一緒に何かイベントとかしたいなー!とか考えていますw

「女の性欲解放キャンペーン」とかしたいなw楽しそうw

それでは、またね〜

 

AVAN代表川奈まり子さんインタビューからみえてきたAV業界の現状と今後(前編)

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

今回は、こちらの記事『AVAN代表 川奈まり子さんご回答全文』にて公開した真空パックAVなどについてのAVAN代表川奈まり子さんとのやり取りの中で見えてきたAV業界の現状と今後について前編と後編に分けてお送りします。

ご回答全文はこちら。

www.feminism.jp



ご自身もAV女優として多くの作品に出演されており、また現在は一般社団法人AVAN(Adult Video Actress&Actor’s Network)代表としてAV作品の表現者を、ひいてはAV業界全体を守り、そしてより良くしていくために日々、奮闘しておられる川奈さんに様々なお話をきくことができました。

前編では「AV業界の現状」についてお伝えしていきます。

どこからどこまでが"AV業界"?

私自身真空パックAVの件を目にしたときに「"AV業界"ってどうなってんの?」って思ったんですね。
それで、AV業界のことなのだからAV業界の中の団体であるAVANさんに聞けば真空パックAVのことも分かるだろうと思っていたんですね。

でも、そもそもAV業界と一口にいってもその輪郭はとても曖昧なものだったんですよね。AV業界には監督官庁がついていないし、行政によって業者の登録や認定もいらないんですよね。
つまり、やろうと思えばどこかから認定などを受けなくても誰でも今日からAV作品の制作ができるっていうことなんですよね。

だから、どこかのメーカーが違法なことをやったりしたとしてもそのことについてAV業界全体をさして「どうなってんの?」って言われても、きちんと法律守って真面目にAV作品をつくってきた人たちからしたら「と、言われましても。」って感じですよね、そりゃ。

適正AVという概念

このように今までは特に「AV業界」をまとめあげるような団体はない状態だったんですよね。

ですが、そんな中で2016年に「AV出演強要問題」がもちあがりました。大きく話題になってましたよね。
これを受け、AV出演者などAV作品の表現者の権利を守るため一般社団法人AVANが設立されました。
また、契約書などがプロダクションごとにばらばらだったり、そういう不十分な部分をきちんとしていこう、規律などを明確にさせようということで2017年4月に「AV業界改革推進有識者委員会」(※1)が立ちげられました。

そして、この委員会がまず提唱したのが「適正AV」という概念でした。

成人向け映像(アダルトビデオ)の総称としては「AV」が一般には認知されているが、 ここで敷衍する適正AVとは、IPPAに加盟しているメーカーが制作し、正規の審査団体 の厳格な審査を経て認証され製品化された映像のみをいう。無審査映像、海外から配信され る無修正映像、著作権侵害の海賊盤および児童ポルノは、適正AVの範疇には入らない。国 内の法規制に則り、確かな契約を取り交わして作られ、著作権の所在が明確であり、指定の 審査団体において審査され、業界のルールに従い且つゾーニングされて販売またはレンタ ルされ、映像の出演、制作および販売・レンタルの責任の所在が明確なものだけを合法な適 正AVと称する。なお、将来的には適正AV=AVとして社会認知されることを目指す。

(引用:業界刷新策の提言)

 

「適正AV」とは、「出演者の募集から商品発売に至るまで、適正化されたプロセスで作られたAV」のことで、委員会は「適正AV業界」が守るべき規則などを以下にまとめています。

http://www.ippa.jp/pdf/AVkaikaku-teigen20170406.pdf

適正AVの作品は日本では唯一のAVメーカー団体であるIPPA(※2)が認可した倫理審査団体によって刑法のわいせつ罪に相当しないか否か(性器のモザイク処理)だけではなく、「倫理面」の審査も行われているそうです。

ちなみに、この倫理審査の審査員はメーカー関係者が兼任することはできず、AVメーカーやプロダクションとは無関係の、一般採用で就いてる人のみだそうです。

そして、その倫理基準は年々厳しくなっているそうで、例えば「児童に見える・児童だという設定のポルノの禁止」や「社会問題の侮蔑的な扱い(出演強要問題や女性弁護士という肩書を利用した内容など)の禁止」「野外露出などについて、違法行為の成果物の禁止」が厳格になったそうです

 

※1:同委員会は、発足から半年経った2017年9月末で活動を終了。10月からは「AV人権倫理機構」として活動をしていく。

※2:IPPA=正式名称を「知的財産振興協会」。日本のAV業界では唯一のAVメーカー団体で、海賊版摘発(警察と連携)・業界振興計画(企画と実施 JAEなど)・加盟メーカーへの倫理審査義務付与などを行っている団体。

 

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適正AV以外は"ノー審査 "

これはとても驚いたのですが、適正AV以外については審査は行われていないんだとか。

もちろん、その中でも内部できちんとした倫理基準で制作しているところもあるのかもしれませんが、第三者の目を通してはいません。

これは私はとても危険なことではないかと感じます。
内部の人間の目だけでは、どんなに規定をきちんとしているつもりでもどんどん過激になっていってしまったり、一般の基準とずれていってしまったりすることもあるのではないでしょうか。

今回の真空パックAV作品などで有名なメーカーはこの適正AVに参加していないんですね。なので、AVANさんや適正AV業界の方々にはそのメーカーでどのような撮影のプロセスを踏んでいるかとかっていうのは全く分からないのです。

 

安全・安心な適正AVとそれ以外のAV

つまり、適正AVというのは第三者の目もはいった規律に基づいて制作されていることが保証されている安全・安心なAV作品。

それに対して適正AV以外のAVについてはそれが不明であるものと言っても過言ではないでしょう。
中には、適正AVに参加していなくても独自にきちんと規律をもってやっているところもあるのかもしれませんが、それを見分けることは一般の人間にはとてもじゃないけど不可能に近いことなのではないでしょうか。

また、この適正AVの概念ができるまでも(適正AVの概念ができたのは2017年4月)適正AVに参加しているAV業界のメインのプレーヤーの多くは、作品の審査も受けてきており、きちんと法律を守ってAV作品の制作を行ってきたようです。

 

 

しかし、解決していかなければいけない課題もまだまだあります。後編ではその課題とAV業界の今後について触れていきます。

 

後編はコチラ

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AVAN代表川奈まり子さん回答全文公開

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

少し前に「真空パックAV」なるものについてツイッターなどで話題になっていたのをご存知でしょうか?もしくは、覚えていますでしょうか?

私はそのとき初めてそのようなジャンルのAV作品の存在を知り、いくつかの作品の紹介画像や紹介文を見た上でこのようなブログを書きました。

 

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このようなものを放置していては現実世界の女性の扱いにも影響が出るのではないか。また、バッキー事件のようなことが起きてしまうのではないかと感じました。

そこで、現在のAV業界の方々の現状や方針を聞くべくAV作品の表現者の権利を守る団体『AVAN』さんに問い合わせをすることにしました。

 

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これに対して、なんとAVAN代表の川奈まり子さんから直接ご回答をいただくことができました。

本ブログではご回答の全文を公開いたします。

そして、以下の記事ではAVAN代表川奈まり子さんとのやり取りの中で見えてきたAV業界の現状と今後について前編と後編に分けてお送りしています。

 

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ぜひ、併せてご覧ください。

それでは、以下、太字部分が私もにかからAVANさんへ寄せた質問文。引用部分が川奈さんのご回答文(原文ママ)となっております。

 

1.これらの作品での行為は人命の危険を伴うものかと存じます。撮影の際には医師などがすぐそばで待機するなどの安全への対策はとられているのでしょうか。

 

まず前提として、「ココアソフト」というメーカーはIPPAに加盟していない可能性があります。少なくとも私の手もとにある資料にはその名前は見つけられませんでした(漏れや見落とし、新しく加盟している可能性はあります)。

IPPAというのは正式名称を「知的財産振興協会」といって、日本のAV業界では唯一のAVメーカー団体で、海賊版摘発(警察と連携)・業界振興計画(企画と実施・Japan Adult Expo[JAE]など)・加盟メーカーへの倫理審査義務付与などを行っています。

IPPAは、今年4月に発足した第三者委員会「AV業界改革推進有識者委員会」が打ち出した「適正AV」という「制作プロセスにおいて適正な手順を踏んでいるAV」の概念を守る「適正AV業界」の中で、同委員会によってただ1つ認められたメーカー団体でもあります。

 

IPPA加盟メーカーの作品は、倫理審査団体(3団体がIPPAによって認可されています)の審査を通過した作品のみとなります。

 

審査基準は、刑法のわいせつ罪などに相当しないか否か(性器のモザイク処理が完全になされているか)だけではなく、「倫理面」の審査も行われています。

審査団体のうち最大の「日本コンテンツ審査センター」には常時100人以上の審査員が日勤しており、そのうち半数以上が女性です。

女性の目線で倫理面をチェックする必要があること、近年は女性向けのAVもあることが、女性審査員がいる理由だそうです。

 

倫理審査の基準は、時節に合わせて変化し、最近は次第に厳しくなる傾向だと聞いています(例・モザイクの濃淡など)。

 

しかし、AV業界は、国の監査を受けていないので、倫理審査以上に踏み込んだ撮影現場での女優の働き方の管理・監督は、撮影にあたる制作関係者の良識や、メーカーごとに設けた安全基準に任せられているのが実情です。

 

適正AV業界において、医師が立ち会う必要が生じるほど危険な撮影が行われることがあるか否か、残念ながらAVANでは全現場を把握はしておりません。

出演者が怪我をする可能性がある撮影内容のAVを制作しているメーカーで、出演者が保険に加入し、そのうえで制作をしていることなら知っています。しかし、すべてのメーカーが演技の危険度に応じて、保険に加入した出演者の採用を徹底しているかどうかはわかりません。

 

 

ちなみに適正AV業界のプレーヤーは、IPPAに加盟する約240社のメーカーと日本プロダクション協会の会員社12社とAVANということに、2017年9月の現時点ではなっています(今後増減する可能性があります)。

 

 

倫理審査について捕捉すれば、昨今の変化として、「児童に見える・児童だという設定のポルノの禁止」や「社会問題の侮蔑的な扱い(出演強要問題や女性弁護士という肩書を利用した内容など)の禁止」「野外露出などについて、違法行為の成果物の禁止」が厳格になったことがあげられます。

「18歳未満の出演者の禁止」は、ビデ倫事件(2008年)以前から徹底されていました。

 

〈質問1〉への回答は以上です。

 

2.作品の表現や撮影のプロセスについて規定などは存在するのでしょうか。もし、存在するのであればご教示願います。

 

表現内容については、AV業界改革推進有識者委員会も具体的なルールは提示していません。

IPPAが委員会の提言などをホームページを上で公開していますので、今回のご質問に関連する部分を以下に抜粋します。

http://www.ippa.jp/pdf/AVkaikaku-teigen20170406.pdf

 

5.団体等は、各種法令を守ることはもちろんのこと、法規制より高邁な倫理観をもって業務に取り組まなければならない。

6.団体等は、制作に関わる各工程において、健康およびメンタルを含めた安全面に特別の留意をして、万全な安全対策を施さなければならない。

7.団体等は、それぞれが「コンプライアンスプログラム」を策定する。団体等と本委員会は連携および分担をして、その実施と点検、見直しを不断に行わなければならない。

(~「委員会からの提言 」より)

 

その他にも、同提言に付随した「業界が守るべき規則」があり、そこには以下の記述があります。

 

〈第6条〉

映像制作のすべての過程において、制作時には、事前に作品内容および撮影内容について、実演家と制作者を含む当該関係者間で合意し、その上で撮影を行なうこととし、撮影時には、意に沿わない演技等に対して、正当な理由をもって出演を打ち切ることができるよう契約に織り込む。

また、事前に打ち合わせていない、または台本にない行為は禁止するとともに、性表現上の行き過ぎた行為については、当事者間の合意があっても慎重にすることとする。

 〈第8条〉にある契約を、それぞれの当事者、特に出演者が十分に理解するための機会と時間を与えられた上で、不当な圧力や圧迫を受けることなく自由意思をもって締結してはじめて撮影が可能であることを理解する。

性表現を扱う以上、表現の制約はあるものの、制作現場ではあらゆる知恵を使って佳作な作品制作をめざし、創造の可能性の拡大を追求する。

 

〈第14条〉 安全および衛生への配慮

団体等は、各工程におけるさまざまな安全策には万全を期し、とくに制作時における怪我および性感染症を含む各種病気の罹患等を予防するとともに、侮辱、ハラスメント、望まぬ演技の強要等によって、出演者等の精神面の健康が損なわれることのないよう、最大の注意を払わなければならない。

また、これまでも行ってきた出演者をはじめとする制作関係者の年齢確認をさらに厳格に実施し、複数の方法で確認を行うようにして、その証を関係者等が個人情報として保護をし、厳重に保管しなければならない。

 

 

適正AV業界では、原則として、第三者委員会が提言するこれらの規則にのっとって、自主的に規制を行い、制作している、と言うことが出来ます。

 

しかし適正AV業界以外で行われていることはわかりません。

特にIPPAに加盟していないメーカーについては、現時点においては第三者委員会も指導のしようがありませんし、いわゆるAV業界の人々と彼らIPPA非加盟のわいせつ動画制作者たちは接点が無いものと認識していただきたいと思います。どちらも「AV」で一括りにされることには違和感があります。

 

また、現在は適正に制作しているメーカーでも、過去の作品となると、倫理審査基準も現在よりゆるく、第三者委員会による提言も受けていないため、今のモラルにマッチしていないケースがあります。

倫理面に問題がある古い作品の中には、今でも販売が継続されて市場に出回っているものもあり、それらがAV業界の改革を見えなくしているということは言えると思います。

 

現在、AV業界ではIPPAを中心に販売期間を発売から約5年に限るとする方針が検討され、実施が待たれているところです。

古い作品が市場から消えることは業界の改善状況を可視化するだけでなく、現在は一般人として生活している元AV女優たちの大多数の願いでもあると思い、早期の実現を目指す動きにAVANも協力したいと考えています。

 

3.作品紹介の画像や説明文をいくつか見たのですが、これらの作品の中にはあまりにも加害性・残虐性が強すぎるものがあるように感じます。

例えば、以下の作品の説明文には以下のような記載がありました。

https://www.talaat.net/index.php?route=product/product&path=80_107&product_id=93 

 

"今回の作品では、全身タイツ(黒色)を着た状態で、真空パックいたしました。

空気を一切残さない撮影をしてみたいと、づねづね考えておりましたが、裸状態で真空すると、どうしても首周りに空気が残ってしまう場合が多いのですが、全身タイツを使用する事により、残りの空気が布を伝い完全に真空状態を作る事が出来ました。

さらに、空気を吸い出している作業中に、肺の中の空気を吐き出す様に指示をしていたので、言葉を発する事が出来ない状態になりました。

 

徐々に意識が無くなり、仰け反り、痙攣を・・・ やがて動かなくなり・・・"

 

人の性癖や性的嗜好それによって差別されるべきではありません。

ですが、それがあまりにも残虐であったり、人の尊厳を傷つけるようなものの場合、それをコンテンツとして制作・販売することについては議論と慎重な判断が少なからず必要なのではないでしょうか。

これらの作品の表現についてはどのようにお考えでしょうか。お聞かせ願います。

 

この質問については、まずは〈質問2〉への回答を参照していただければ、と思います。

出演者の心身の安全確保は重要な課題で、撮影現場において出演者が傷害を負わされるようなことがあってはなりません。

 

その一方で、商品(作品)としては一種の残虐な表現がされていても、撮影においては安全確保が出来ている場合は、表現内容に踏み込んだ自主規制は極力避けられるべきだとする、つまり「表現の自由」を重んずる考え方は、第三者委員会にも、女優を含む業界人の多くにも、通底しているようです。

 

ここで、川奈まり子としての個人的な体験を申せば、私も、現役女優時代には、商品になったときには過激な拷問や性暴力を受けているかのごとき内容に見える作品にも数多く出演しました。

が、しかし、それらは演技や演出で作られたものばかりで、実際には楽しくやり甲斐を持って撮影にのぞんでいたものです。

 

制作予算によりますが、AVも、一般の映画やテレビドラマのように、CGや特殊メイクなどを駆使して高度に演出された商品になることもあるのです。

 

演技・演出による映像と、そうでないスナッフフィルム的な犯罪成果物との見分けがつかないことで、各AVメーカーおよびAV業界は、世間からあらぬ誤解を招いているのかもしれません。

 

適正AVには、「演技・演出によるものである」「出演者の安全保持に留意している」「けして真似をしないでください」等の但し書きを付けた方がいいという意見は、昨年私が参加したIPPAの会合でも再三出され、一部のメーカーは、すでに実践しています。

しかし、今のところは、但し書きを付けるか否かの判断は、メーカーの自主性に任されています。

 

また、被虐性の高い作品に関しては、出演者本人の演出内容に関する理解、演出ひとつひとつに関する諾否の自由が必ず必要です。

身体を使った表現に関してはさまざまなリスクが伴うことを、制作者・出演者全員が忘れずに、性の制作物のプロとして携わるべきと考えます。

 

 

4.今回Twitter上で話題になっているものとは別件なのですが「レイプもの」や「痴漢もの」などについても、これらは実際に被害に遭っている方の存在する"性犯罪"です。それをコンテンツとして販売することはその被害者の尊厳を傷つけるものだと私は考えます。私はそのような作品の制作は中止すべきだと考えます。

これらの作品の表現についての考えをお聞かせ願います。

 

〈質問3〉への回答でほとんどお答えしてしまいましたが、質問の主旨に沿って補足いたします。

 

AV業界の倫理審査において、レイプものや痴漢もので実際の犯行を録画した作品は明確に禁止されています。

IPPAに加盟する「表」のAV業界の自主的な規則で、ビデ倫事件以前から相当に徹底されてきました。

しかし、前述したようにIPPA非加盟の「裏」ビデオの業界は、表のAVの業界とは別のものです。そこで何が行われているかは、いわゆる「表」のAV業界からは関知することができません。

「表」のAVについて言えば、最近では、実際に犯罪行為を行っていなくとも、あまりにもリアルに演出されていると、審査センターで物言いがついて修正するよう命じられると聞いています。

 

そういう意味ではなく、「現実にある性犯罪をビデオの世界で再現してよいものか?」という議論も、社会の一部に存在します。

 

しかし演技・演出による「性犯罪の設定」をAVにおいてのみ禁止することには、AVだけではなく表現活動を行う幅広いジャンルの創作者と創作物の支持者が反対しているようです。

 

反対する理由は……

 

・現在ではメディアミックスが盛んに行われており、同じ作品のAVバージョンと映画バージョン、或いはVシネマバージョンなどが存在する例などもある。AVと映画・AVとVシネマ・AVとゲームなどにグラデーションの部分が存在し、切り分けはAV(というジャンルと関係者)に強いスティグマを負わせるのみならず、そもそも完全に出来るものではない。

 

・創作物の表現の自由はできるだけ守られるべきだとする考えに則ると、見たくない人に対してはゾーニングで対処すればよく、表現内容がどうであれ、現実に新たな被害者を積極的に生んではいない(出演者の安全が確保され、見たい人だけが見るように工夫されている)創作物を禁止する理由になるとまでは言えない。

 

・残虐表現や性暴力表現は、文学や映画、マンガ、現代美術にも存在し、「現実に被害者がいる犯罪などを模しているから(或いは、想起させるから)」との理由によるAVの表現内容規制は、容易にAV以外の他のジャンルに飛び火し、法規制が行われれば為政者による言論統制の引き金になる。

 

……こんなところでしょうか。

 

たとえば、ある大手メーカーでは、出版社と連携して、既刊の官能小説をポルノ映像化した作品シリーズを作っていますが、その中では、官能小説に描かれている女性の凌辱場面が含まれることもあります。

しかし、文学性が高い官能小説を原作とした同シリーズは、映像作品としては標準的なAVと比較して高質であり、小説的なドラマを再現するために演出力に優れた監督が制作指揮にあたっていて、このシリーズに出演したいと思っているAV女優が多数いる、という状況です。

つまり、撮影現場での女性の処遇と、作品世界の中の女性の処遇は、まったく一致していないのです。

 

以上の理由から、業界としては、現実の社会に与える影響については、ゾーニングの徹底と義務化された倫理審査で抑えたいとする考えなのではないでしょうか。

少なくとも、第三者委員会の提言や規則からは、そう読み取れます。

 

一方、AVが社会に与える影響については、AV業界の中では広く・深く議論されたことはないかもしれず、今後の課題であると私は思います。

 

個人的に、AVAN代表としてではなく、1人の女性としての私自身は、ポルノが存在する国と存在しない国の性犯罪の発生率などの統計を根拠にして、「AVがあるおかげで犯罪が抑制されているのだ」とAV業界人が主張することは、業界人として好ましくない態度であり、控えた方がいいと思っています。

 

AVに限らず、あらゆる創作物・表現物は、人の精神と社会に影響を与えます。

 

事実、AVで出演者たちがしていたことを真似て、顔射したがったり、SMゴッコをしたがったり、セックス・トイを使いたがったりする男性や女性と出逢ったことが私はあります。

 

けれども、顔射したせいで、女性が眼球や耳から性感染症に感染した例もあると、性感染症対策専門のクリニックの医師から聞いたことがあります。

 

AVの出演者たちが、1〜3週間に一度という非常に高い頻度で性病検査を受け(現在は多くのメーカーで義務化)、健康管理を徹底していることを、一般の方々はご存知ないと思います。

 

一般の方が緊縛モノのAVに影響されて女性を縛れば、怪我をさせることもあるでしょう。

 

AVで緊縛を行なう縄師は、先輩縄師に弟子入りして長期間にわたり修行を積んだプロフェッショナルであり、人体に大きなダメージを与えることなく美的に縄で縛ることに熟達しています。

素人が形だけ真似れば、パートナーに深刻な後遺症を伴う傷害を負わせる可能性が低くありません。

 

さらに、標準的に、AVの演技はADなど制作スタッフやカメラマンなどの衆人環視のもとで行うので、一対一での行為とは違って、異常があれば制止する人が必ずそばに居合わせ、これが一種の安全装置になっています。

 

また、残虐表現や性暴力表現を適正AVにおけるプロの世界において禁じた場合、一部マニアや素人の間で表現そのものが地下化したり、残虐表現や性暴力表現のコンテンツへの価値があがることで、生活に困窮した人々が危険な制作現場に巻き込まれたりする恐れもあります。

 

性の尊厳に照らしてAVの演技が衆人環視の撮影現場で行われる点を問題視する見方がありますが、実は、AVに出演する者、特に腕力において男性に劣る女性にとっては、周囲にスタッフがいる方が、男優もしくは監督と2人きりにされるより、安心・安全を実感できるものなのです。

性の尊厳については、プロの仕事と一般的な感覚は、あくまで分けて考えられるべきでしょう。

 

以上述べましたように、一般の方がAVで見たことをうかつに模倣することは、映画で見たスタントマンの運転を真似て素人が公道でドリフト走行するようなもので、とても危険です。

たまたま運転技術を持っていれば無事で済むかもしれませんが、もしも運転が下手だったら、被害者は1人では済まないかもしれません。

 

ですから、一個人としては、最低でも、「真似をしないでください」といった但し書きぐらいは、どのAVにも付けたほうがいいと思っています。

 

AVメーカーによっては、内容にもよるのかもしれませんが、何らかの但し書きを付けているそうです。

が、現時点ではIPPAは加盟メーカーに対して、そうした但し書きを義務化していません。

AVは出演している女性を含めて一種のプロの集団によって創作された商品であり、簡単そうに見える表現の裏には、日常化した性感染症対策や安全策が標準的に取られているということは、広く社会に知られた方がいいと思うのですが……。

 

但し書きは、リアリティを求める購買者のニーズには逆行する可能性が高く、売り上げを第一に考えるメーカーにとっては邪魔なのかもしれません。

 

しかし、真似を禁じる但し書きは、模倣による一般人の加害と被害を防止できますし、容易には真似られないものだと作り手が宣言することにより、AVの創作物としての価値を世間に知らしめることにもなるのではないでしょうか。

 

これは私だけの考えではなく、IPPAとAVANが昨年行なっていた「表現者の権利を守る会合」では、メーカー側の理事からも、私が前述したのと同じような理由に基づいて、但し書きの義務化を推す意見が出されたことがあります。

ですから、未だ検討課題の域ではありますが、第三者委員会の後押しがあれば、実現する見込みはあると思います。

 

ご質問への回答は以上です。

 
以上がAVANさんへ私が寄せた質問への川奈さんのご回答全文でした。
これ以外にも川奈さんにはAV業界の現状やその課題や今後の展望などについてもお話聞くことができました。

 

これらのやりとりから見えてきたAV業界の現状と今後についてはぜひこちらを併せてご覧ください。

 

www.feminism.jp

www.feminism.jp

 

 

 

 

キルギスの誘拐結婚と日本の女性の現状。それはそう遠くはないのかもしれない。

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

先日、福岡にある男女共同参画センターアミカスさんで行われた『国際ガールズ・デーイベント 「フォトジャーナリスト林典子が見た世界の女性たち~1枚の写真に込める思い~」 講演会&ミニ写真展』というイベントに行ってきました。

林典子さんはフォトグラファー世界中の様々な国で、その現状やそこで生き抜く人たちの「ニュースにならない人々の物語」を取材している方です。

今回の公演では、10月11日の国際ガールズデーにちなんで今までに林さんが取材した中から女性に関するものについて林さんが撮影した写真とともに、その文化や問題、現状など、その女性のストーリーをお話いただくという形でした。

パキスタンの硫酸で顏を焼かれた女性の話、「イスラム国」(IS)の攻撃を受け兵士になった女性の話などを、ときには胸がきゅっと苦しくなるような、そしてときにはある種、親近感が湧くような写真とともに聞かせてくださいました。

 

その中にキルギスの「誘拐結婚(アラカチュー)」というものについてのお話がありました。

キルギスの「誘拐結婚(アラカチュー)」

キルギスには、男性が女性を連れ去ってほぼ強制的に結婚をさせてしまう誘拐結婚(アラカチュー)というものがあるそうです。

中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の小さな国キルギス。約540万人が暮らすキルギスで人口の7割を占めるキルギス人。地元の人権団体はキルギス人の既婚女性の約3割が誘拐され結婚していると推定している。キルギス語で「Ala Kachuu-アラカチュー」(奪い去る)と言われ、 面識のない男性や数回会った程度の男性に連れ去られるケースがほとんどである。1994年に制定された法律により、女性の合意ないアラカチューは禁止されているが、警察や裁判官は単なる家族間の問題とし、犯罪として扱うこともほとんどない。

(引用元:キルギスの誘拐結婚 Ala Kachuu | portfolio | 林典子|Noriko Hayashi)

 

誘拐されると、女性たちは男性の家に連れていかれ、男性の親族の女性たちに結婚を受け入れるよう説得され、花嫁の象徴である白いスカーフを頭に被せられるのを必死に抵抗する。キルギスでは高齢の女性たちに逆らうのはきわめて失礼とされ、さらに一度男性の家に入ると、純潔ではないと見なされ、実家の家族に恥をさらしてしまうという理由で、誘拐された女性の約8割は何時間、何日間もの抵抗の後に結婚を受け入れるという。

(引用元:キルギスの誘拐結婚 Ala Kachuu | portfolio | 林典子|Noriko Hayashi)


林さんは、すでに違法となっている誘拐結婚がいまだになくならない背景にはキルギスの国民の多くが合意のない誘拐結婚をキルギスの伝統だと信じている背景があると言います。

誘拐結婚は社会問題か文化か

誘拐結婚をさせられて夫から暴力を受けている女性もいる、耐えきれず自殺をしてしまった女性もいる。
しかしその一方で誘拐結婚をして最初は嫌だったけど今はとても幸せだという人もいる。

また高齢の女性では「昔は今みたいな暴力的なアラカチューはなかった。自分はアラカチューがしたくてした。だからあまり悪いように伝えないでほしい。」という人もいたと言います。

しかし、専門家たちは「合意ないアラカチューはキルギスの伝統ではない」と主張する。キルギスがソビエト連邦の共和国になる以前は、両親が決めた相手とのお見合い結婚が主流だった。アラカチューという言葉は存在したが、本来は「駆け落ち」婚を意味していた。20世紀に入り、キルギスが旧ソビエト連邦の共和国になると経済活動や社会システムが急変し、男女平等のイデオロギーがキルギス人たちの間に芽生えた。それまで両親が決めていた結婚相手ではなく、自分たちで相手を選びたいという自由な意志が生まれ、その結果としてかつて行われていた駆け落ちのアラカチューが、ねじ曲がって伝えられ現在の暴力的な誘拐行為までもが「伝統」のアラカチューだと思い込むキルギス人が増えたのではないかという。

 

そんな様々な女性の話を聞いていくうちに林さんはこの誘拐結婚を社会問題として伝えるか、それともキルギスの文化として伝えるかとても悩んだと話しておられました。

「女性だから」何かを諦める日本の女性

誘拐結婚の話を聞いて「そんなひどいことをする国があるんだなぁ。」と思う人は少なくないはずです。

でもこの話を聞く中で私は、どこか日本と重なる部分があるように感じました。

日本には誘拐結婚のようなあからさまなものはないかもしれません。
でも、夫の転勤のために仕事を辞めざるを得ない女性。妊娠を理由に会社からほぼクビのような形で辞めさせられる女性。子供ができても夫は今まで通りの生活、実質ひとりで子供を育て上げたような女性。親に「娘には近くにいてほしい」と言われ、地元から離れられない女性。

「女性だから」という理由で半ば強制的に何かを諦めなければいけなかったり、何かの役割を押し付けられてしまうということはこの日本にもまだまだたくさんあります。

私は林さんのキルギスの誘拐結婚の話を聞いていて、これは日本の現状とそう遠くはない話だと感じました。

結果的に幸せならいい?

キルギスの誘拐結婚と同じように、この当事者の女性たちの中には結果的に幸せに、普通に暮らしている人も少なくないのかもしれません。

でも、本当にそれでいいのでしょうか?
「そのまま仕事を続けていられれば。」「夫は自分のキャリアを築いている、自分の趣味の時間もある、それなのに自分は。。」そういう彼女たちの思いはどうなるのでしょうか。
「まぁ結果的に幸せなんだからそれでいいじゃん」で済ませていいものなのでしょうか。

本人がやりたくてやってるならいい?

また、林さんがキルギスで会った誘拐結婚をした女性の中には「自分はアラカチューをしたくてした。あまり悪く言わないでほしい。」という人もいたと言います。
日本の場合も、「自分はやりたくて専業主婦をやっている。それなのに専業主婦を悪く言わないでほしい。」とか「(たぶん)本人がやりたくてやってるんだから、いいじゃないか。」という声を見かけます。

決して専業主婦が悪だとは思っていません。本人がやりたいと思ってやっているならもちろん自由にしたらいいことです。

でも中には「家事育児は女性がやるもの」という固定概念に知らず知らずのうちに縛られてやっている人、やりたくないけどやらざるを得ない人がいるはずです。

「本人がやりたくてやってるならいいじゃん。」その言葉は、それらを見えないようにしてしまわないでしょうか。

 

あとがき

キルギスの誘拐結婚と日本の女性の現状。一見、全く違う国の全く違う文化のように思えるかもしれません。

でも、その問題の本質を考えてみると実はその現状はそう遠くはないのかもしれません。

 林さんの本はコチラ↓

 

 

『ふぇみえら』ロゴ刷新!なぜFがひっくり返ってるの?そこにはふか〜い意味が!

こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

ブログのタイトルロゴを新しくしましたー!
イラレを使って自分でせっせと作ってみました!どう?どう?w

この新ロゴは今後「ふぇみえら」というサイトをどうしていきたいのか、そして私自身の活動の方針を表しておりまする。
 

ひっくり返った"F"と"i"の上の吹き出し

・ひっくり返った"F"
このFはfemale、つまり女性を意味しています。これを逆にすることで「今までの固定化された女性観をひっくり返していく」という思いをこめました。

日本の女性観というのはかわいらしく、おしとやか、清純とかとか??、、、そんなのばっかりじゃつまんなスギル!!!

そういう女性観をどんどんひっくり返していきたい!ちょっと待った!こんな女もいるんだぜ!ってことを伝えていきたいなと思うのです。

・iの上の吹き出し
iの上の点を吹き出しにしています。
これには、i =自分が声をあげていくという意味こめました。

日本にはどこかしら「性差別とかめんどくさいこと言うなよ」「別に今のままでいいでしょ」というような雰囲気があるように感じるのです。

また女性はセクハラなどをされても笑って受け流さなきゃ。性被害にについても「被害者のほうにも非がある」などと言われることも少なくなく、つらい状況にある人が声をあげにくい状態になってしまっています。

どんなにめんどくさがられたり、うとましがられようと声をあげ続けていこう!そして、今声をあげられていない人たちが声をあげられるようにしていこう!
そんな思いをこめました。

ロゴマークはFとM、そして波を表現

次に、このマークの部分。

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・FとMがくっついてる
ちょっと分かりにくいかもなんですけどw真ん中の白い部分は横倒しになった"F"と、"M"をくっつくたものを抽象化したものなんですね。

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これは、"F"=female(女性)、"M"=male(男性)で、男女という性別の境目を曖昧にしていきたいという思いを表現しています。

いろーんなことを男or女で区切りたがることにはほーーんとに違和感!それに性別ってもっとグラーデーションのあるものでしょう?

そんなつまんない境目はどんどん曖昧になっていくといいなと思うのです。

・波を表現
あと、波をイメージして作っています。
これは、波風を起こしていくという決意を表しています。

ジェンダー界隈には固定概念とか、古くさい伝統に縛られていることがたっくさんありますよね。
そこに一石を投じて、どんどん波風たてていこう。議論を巻き起こしていこう。そうやって変えていこう。
そういう思いをこめました。

あとがき

今回、ロゴを作ることにしたのには理由が2つありまする。
まずはこのサイトや私の活動の方針をある程度示したいっていうこと。

あともうひとつは、自分が活動していく中で迷ったりしたときに立ち返れるものを作っておこうと思ったからです。

フェミニズムとかジェンダーとかの問題って本当にいろんな考え方の人がいて、活動していく中で「あれ?これなんのためにやってるんだっけ?」みたいになっちゃうことがあるなと思うんですね。そんなときにこのロゴを見て「あ、そうだった。」と立ち返れるものにしたいなと思ったのです。

  • 今までの固定化された女性観をひっくり返していく
  • 自分が声をあげていく
  • 男女という性別の境目を曖昧にしていきたい
  • どんどん波風たてていこう。そうして議論を巻き起こしていこう。

 
自分としてはまぁまぁいい出来かなと満足しておりますw(異論は認めません。)

それでは、今後とも『ふぇみえら』をよろしくねー!

ではでは、またね〜

【立憲民主党】「私はリベラルであり保守である」枝野さんの演説に胸が熱くなる

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

今日の枝野さんの街頭演説みましたか?
いいこと言ってたんで、その部分を書き起こしてみました。


あくまで、これは一部の抜粋なのでまだ見てない人はぜひこの動画みてください。


枝野幸男 立憲民主党 街頭演説(2017.10.3)

 

書き起こしはこの動画の10:15-15:24あたりの部分です。
ぱぱーっと書き起こしたので、少々ミスはあるかもです。ご了承ください。

 

枝野さん街頭演説

格差が拡大すれば、社会が分断されます。社会が分断をされて、むしろ政治が対立を煽って、これで本当に日本の社会の未来はつくられるんでしょうか。

大きな政治の流れを変えていきましょう。

東日本大震災の時に絆という言葉が使われました。

分断をされていた社会があの未曾有の災害の中で、お互いに助けあおう。支え合おう。そうした絆がうまれたはずでした。

しかしこの5年の間にその絆はどんどんどんどん弱められている。

 

しかしその一方で安保法制をきっかけに、さすがにおかしいじゃないか。それまで政治にあまり関わりのなかった人たちが声をあげて、ネットワークを組んで、声をあげていただけるようになった。


この流れを止めてはいけない。


民主主義というのは、選挙で多数決で選んで、選ばれた議員が多数決で物を決める。これが民主主義だと思っているから間違えてるんです。

みんなで話し合って、できるだけみんなが納得できるように物を決めましょう。これが民主主義なんです。どうしても決められないときがあります。どうしても意見が食い違うときがあります。そのときに、ここまでみんなで話し合って、それでも一致しないならば、多数決で決めれば少数の意見の人も「仕方がないですね」納得ができる。その納得のプロセスが多数決なんです。


残念ながら今国会で多数をもっている人たちにこの民主主義の本質が分かっているでしょうか。選ばれたから勝手に決めていい。数をもっているから勝手に決めていい。こうした上からの民主主義は民主主義ではありません。


俺たちの声をきけ。俺たちの現場をみろ。そうした草の根からの民主主義こそが本当の民主主義である。

上からの民主主義に歯止めをかけて、草の根の民主主義を取り戻しましょう。


強い者をより強くして、格差を拡大しておきながら、いずれみなさんのところにいきますよ。トリクルダウン。滴り落ちますよ。上からの経済政策はもうやめましょう。

生活に困っている人たちが暮らしからそれを(~)押し上げることで社会全体を押し上げていきましょう。経済全体をおしあげていきましょう。

 

右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか草の根からか、これが21世紀の本当の対立軸なんです。

 

リベラル新党よくできたと期待をいただいてるんですけど。(ニコっ)
保守とリベラルがなんで対立するんですか。保守とリベラルは対立概念ではありません。だいたい、今の自民党が保守なんですか?1億総中流といわれて、世界一治安がいいといわれて、お隣近所、地域社会、お互い様に支えあっていた日本社会を壊してきたのは誰ですか。日本社会のよき伝統を壊している保守なんかあるはずがありません。

 

私は、人それぞれの多様な生き方を認めあう、困った人がいればそこに寄り添って支えていく。お互い様に支え合う社会。リベラルです。そのことによって、おそらくここのお集まりいただいている多くのみなさんが育ってきた時代、日本が輝いていたといわれていた時代の、あの1億総中流といわれていた時代の、社会がこんなにギスギスしていなかった時代の、みんなが安心して暮らせていた時代の日本社会を取り戻す。私はリベラルであり保守である。

 

あとがき

私は政治に詳しくはないので、あくまで個人的な感想になるんですけど。

まず、「右か左かではなく上からか草の根からか。」とか「保守とリベラルは対立軸ではない」とかっていうのは、たしかに。って感じだし、うまいなぁーと思いました。

でも特に派手なことを言っているわけではないんですよね。でも心にぐっとくる、とてもいい演説でした。私なんかは結構感動しました。

今まで少数派だからと弱い立場に立たされてきた人たちの胸をうったのではないでしょうか。

「もう日本の政治家には私たちの方を向いてくれる人はいないんじゃないか。」「日本ではもう私たちは自分らしく生きていけないんじゃないないか。」そんな絶望感。そんな中「リベラルです。」とはっきりと言ってくれたことが胸を熱くしました。

もしかしたら革命を目にすることができるかもしれないという高揚感さえ私は感じています。

とてもいい演説でした。感動した。
これからが楽しみ!!

それでは、またね〜

ワンダーウーマンは女性を人間にしてくれた

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こんにちは、ワンダーふぇみブロガーのもにかです!w

待ちに待ちに待ったワンダーウーマン見に行ってきましたー!!

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もう完全にその気のわたしw

もうね。
感動した!私は感動した!とっても感動した!

男たちが尻込みする中、ワンダーウーマンが1人最前線に立ってみんなをひっぱていくあのシーン。そのひたすらに強い姿にとても感動しました。

女とか男とか関係なく、ヒーローになっていいんだ。なれるんだ。かっこよくなれるんだ!と。
正直に言うと、今これを書いてる間も涙をこらえるのに一苦労w

女性をただの強いヒーローにしてくれてありがとう

女性を本当にただただ強いヒーローとして描いてくれたことが嬉しかった。本当に嬉しかったんですよねー。
正直、それだけのことでこんなにもエンパワーされるとは思わなかったんですよね。

でも、強い女性を描いた作品でも結局、母性とか男性との恋愛とかとセットで描かれたり、もしくは結局男性の手助けがあったり。。結構そういうのが多いじゃないですか。

別に、それはそれでいいんですよ。男性に助けてもらうこととか、母性的なもの(親性?)ももちろん素晴らしいものです。
でも、強い女性を描くときに必ずといっていいほどそういうものがセットになってることに正直飽き飽きしてたんですよね。

でも、ワンダーウーマンはそれが全然ない。
本当にただただワンダーウーマンがかっこよくて超強い"ただの"ヒーローであってくれている。
それがとても嬉しかったなー。

ワンダーウーマンは女性を人間にしてくれた

女性はいつも女性であることを求められています。いろんなところからそのメッセージを受け取りながら生きています。

女性はことあるごとに、「人間」という椅子ではなく「女性」という椅子におとなしく、意見を言わず、可愛く座っていなさい。と言われ続けています。少し自由に歩き回ろうとすると、とっ捕まえられて「とにかく、おとなしく座ってなさい。」とその椅子に縛り付けられてしまいます。

「なぜ私はここに座っていなければいけないのか。」と聞くとこう返ってくるのです。

「なぜかって?君は女だから。当たり前でしょ?」

ワンダーウーマンはこの椅子から私たちを解放してくれたように感じました。「もうそんなとこ座ってなくていいんだよ!」と言ってくれているように感じました。

おしとやかで、意見を言わず、可愛く座っている女性のイメージを「人間」のところまで引きずりおろしてくれたように感じたんですよね。

それが本当にうれしかった。 

日本のプロモーションにはうんざり

これはちょっと私はいやだなー。つまんないやり方してるなーと思いましたねー!
"美女戦士"とか"美しくぶっとばす"とかねー。

 

確かに彼女は美女だよ。いや、そりゃ女優さんなんだからだいたいそうでしょっていう。スーパーマンとかにいちいち「イケメン最強ヒーロー」とか「イケメンがぶっ飛ばす!」とか言ってるかなー。あんま見たことないと思うんだけど。

この点については「女性は見た目が大事」ってとこから抜けられてないのかなぁ。と感じました。

あと、個人的にはなんで乃木坂なのー!って思いましたw
いや、別に彼女たちはなんにも悪くないんだけどね。なんかもっとかっこいい人にしてほしかったなーと。分かりやすく強く、かっこよく生きてる人。

誰だろう?水原希子さんとか?土屋アンナさんとか?
だれかいい人いるかな?

あとがき

ちなみに、ストーリーとしては頭からっぽにして観られるいい意味でばかっぽいザ・アメコミアクション映画なのかなー!と思いました。

ただとにかく、女性をエンパワーしてくれる、そして何か歴史が変わってきているのではないだろうかと感じさせてくれる、そういう意味では革命的な映画だと思います。

ワンダーウーマンを見て育つ今の子供達が本当にうらやましいなぁー!女だろうが男だろうが誰だって、自分もスーパーヒーローになれるんだっていうことをちゃんと教えてもらって育っていくんだもんねー!

特に女の子のお子さんをおもちの方はぜひ、見せてあげてください!そして、今もうすでに大人の女性のみなさんもぜひ、一度、見てみてください!

ワンダーウーマン最高!

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それでは、またね〜


差別と戦う者が恐れるべきなのは間違いや失敗ではなく何も変わらないこと

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こんにちは、ふぇみブロガーのもにかです。

まず最初に。
先日の「"クソオス"という人はフェミニストではないと私は思う」という考え方は間違っていました。
みなさんの様々なご意見を見ていくうちにそう考えるようになりました。
排除したり分断するような発言はするべきではありませんでした。

しかし、フェミニストの敵は男性ではない。そして性差別は決して「女性vs男性」ではないという考えは変わりません。

記事については、冒頭に訂正文をおくという形にしています。

その上で、ここ数日のみなさんの反応を見ていて考えたことを書いておきます。 

失敗できない、間違えられないという恐怖

ここ数日のフェミニスト界隈のみなさんの反応をみていて感じたのは失敗や間違い、知識不足を認めない雰囲気があるのではないかということです。

今のこの状況の中でフェミニストであり続けることはなかなか難しいことだと感じました。

私の主張には間違っている部分がありました。しかし、いただいた反応の中には批判や反論とはちがう、攻撃もありました。

今回に関しては、私が先に否定するようなことを言ってしまったので仕方ないと思っています。
ただ、もっと多くの人たちが気軽に性差別の問題に関われるようにするためには、失敗や間違い、知識不足を許容できる状態が必要だと感じました。

フェミニスト=男嫌い?

往々にしてフェミニストは男嫌いだと思われているように感じます。
フェミニストは男嫌いで、男性を排除しようとしていると。

そのような考えを持っている人たちの存在は否定しません。
しかし、フェミニストにはそうではない人たちもいるんだということはぜひ知ってもらいたいと私は思います。

今までフェミニストはなんだかこわいと思っていた男性たちに。そして、性差別の問題に関わりたいけど尻込みしているフェミニストたちに。

あとがき

フェミニストとはなんなのかということを発言・議論することはあまり意味のないことのように思えるかもしれません。

しかし、それによって性差別と戦おうとする人が増えるのであればそれはとても有意義なことです。

知識があまりなくても性差別をなくしたいという気持ちがあるのであればその人はすでにフェミニストです。男嫌いでなくても、またあまり熱量が高くなくてもフェミニストです。

性差別の問題というのはとても複雑です。間違ったことを言ってしまったり、失敗してしまうこともたくさんあるでしょう。
それはとても、こわいことですよね。
しかし、間違いや失敗より恐れるべきなのは、何も変わらないことです。
失敗を恐れて口をつぐんでいては何も変わりません。
間違えたとしても、それによって議論が巻き起こったのであればそれは間違いなく誇るべき一歩のはずです。

ぜひ、声をあげてみてください。
まずは、情報を拡散するとか、リツイートするとか、いいねをおすとかだけでも充分です。賛同の声は大きな力になります。

自分自身や身の回りのことについても考えてみてください。自分ばかりが家事や育児を押し付けられていないだろうか。自分ばかりが経済的負担を背負ってはいないだろうか。自分の職場はどうだろうか。女だから、男だからで縛り付けられていないだろうか。
テレビやメディアはどうだろうか。日本の伝統とされていることはどうだろうか。おじいちゃんおばあちゃんの言っていることはどうだろうか。教育はどうだろうか。医療はどうだろうか。政治はどうだろうか。法律はどうだろうか。

 

性差別はわたしたちの身の回りになかなか落ちない錆のようにこびりついています。いやというほどに。

 

ぜひ、声をあげてみてください。